「応援する」って得意ですか?
「応援される」って心地よいですか?
先日、こんなことがありました。
私の活動を応援したいから、
某所にチラシを置けないか、
聞いてみてくれた友人がいました。
結果、チラシは置いてもらえなかったのだけど、
その行為が本当に嬉しくて、
「ありがとう」と伝えたんです。
すると、彼女が言いました。
「応援している気持ちを受け取ってもらえて、嬉しい」
と。
私、この言葉がとてもとてもとても響きまして。
なんでこんなに響いたんだろう、
と、考えた時に、
彼女には純粋に「応援したい」という気持ちしかないから、
かなと思ったんです。
私は子どもたちのことを、
「心配」ではなく、「応援」したいと思っています。
でも、その応援が
「期待」や「プレッシャー」になることもあるじゃない?
純粋な「応援」だったはずが、見返りを期待していたり。
「応援しているのに・・・」
「あの時応援してあげたのに・・・」
という気持ちになったら、
なんだかもう、ちょっと違うよね。
「応援したい」という純粋な気持ちに、
いろいろオプション付けちゃった。
「こんなに応援してもらって申し訳ないな・・・」
もあるかもね。
私たちはともすると、
誰かの純粋な気持ちを曲解して受け取りがち。
そして、純粋な気持ちにオプションを付けて渡しがち。
「応援している気持ちを受け取ってもらえて、嬉しい 」
彼女のことばが、私をずっとシンプルに、
ピュアにしてくれたのでした。
こんな言葉を受け取る経験をさせてくれてありがとう。
やっぱりね、自分の経験の中から行動って選ぶもん。
この経験があるから、私も100%ピュアな気持ちで、
応援ができるんです。
子どもたちに対しても、
私が応援したいあの人にも、こう言いたい。
「応援している気持ちを受け取ってくれてありがとう。」
その先の行動をどうするかは分からないけれど、
話を聞いてくれた、リアクションしてくれたってだけでも、
「私の気持ちを受け取ってくれてありがとう」なんだなぁ。
それだけでいいはず。
私が最近のテーマにしている、
「信じきる」ということ。
この「応援」
親勉インストラクター
大木きぬよ(ぬー)
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