今日の記事は、私の趣味の自分分析ですので、
ご興味ある方がお読みくださいね!
三連休のうちの二日間、私は自分の学び(親勉上級講座)のために、
栃木の実家に子どもたちを預けて、東京へ行っていました。
一日目が終わり、駅に迎えに来てくれた父と子どもたち。
車の中で父が言うのです。
「申し訳ないんだけど、(息子)がやけどしちゃったんだよ。」と。
そして、息子もかたことで言うのです。
「あっちっちー。ブー(ストーブ)」
「お土産にプリン買ってきたよ!お留守番ありがとね!」と言う予定が、頭真っ白。
でも、過剰に反応して息子を不安にしてはいけないと、努めていつも通りに、
「そうなんだ。痛かったね。びっくりしたね。」と言った気がします。
今、思い出そうとしたけれど、私、ショックでよく覚えてないようです。
車中で息子のやけどを確認したのか、手に何か巻いていたのか、分かりません。
ただ、泣きそうになるのをグッとこらえて、
「痛かったねぇ。良くなれ良くなれしようね。」
と声をかけて、手を握って、頬を寄せて。
このとき、私の中に出てきた気持ちは、
私がいなかったからやけどしたんだ、とは思わないようにしよう。絶対。
もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対てきな。(全然ゴロ違う)
これを何度も何度も言い聞かせた気がします。
ということは、「全く関係ないのに、私のせい思考」があったってことです。
実は、親勉上級講座1日目のときも、彼、階段から落ちて怪我していたんですよ。
だからね、「まただ!」って思っちゃったんです。
次に出てきたのは、
両親を責めないようにしよう、絶対。
言葉がきつくなったり、口数少なくなったり、実の親だからこそ、甘えが出てしまいました。
こういう時、誰かを責められると楽なんですよ。
責める対象があると、かな。
だから自分を責めたりしてしまうのかもしれません。
両親こそ、責任を感じて自分を責めてたかもしれないのに。
もっと優しい言葉をかけてあげられたら良かったなぁ。
「痛い?」と聞くと「ぶー(大丈夫)。」という息子。
本当は痛いのに、健気に「大丈夫」と言っているんじゃないか、とか、
明日の講座、行けなかったらどうしよう、
子どもが火傷しているのに、出かける母親ってどうなの?という気持ち含む、とか、
野口英世みたいになったら(小さい頃にやけどをして手術したから)とか、
出てくる出てくる、変な関連づけ。
もうね、自分で自分の思考がおかしくなってしまいました。
「息子がやけどした」という一つの出来事を、どうとらえるかは私が決められるんですよね。
子どもたちを寝かしつける前に、娘と話しながら私は泣きそうになりました。
今思えば、あのときに、
「ふたりがお留守番してくれて嬉しかった。
息子の手が痛いのかなと思うと悲しい。
早く良くなれ良くなれって思う!」
って泣いてしまったら良かったんだな、と思いました。
私は泣くことってあまりないんです。
だから、これからは泣きそうになるときにもうすっぱり泣いてしまおうと思います。
でね、結局何が言いたいかと言うと、
「起きてしまったことは仕方がない。これからどうするか、を考えましょう。」
なんですよ。
これ、今日行った皮膚科の先生の言葉。
あれ、どこかで聞いたことがあるなぁ。
もうね、人生ってすべて、これなのね!と悟ったのでした。