77年 | Darknight・Prom NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥のブログ

些か中途半端な数字だが、一昨日、日本国憲法が公布から77年を迎え、同日付T京S聞朝刊社説は「大津事件」を取り上げた。

 

1891年、来日中のオソロシア皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフが、訪問先の滋賀県大津市で、日本人警察官・津田三蔵に斬りつけられて負傷した暗殺未遂事件だが、発展途上の日本は、大国オソロシアの報復を恐れて右往左往し、政府は事件を所轄する裁判官に対し、旧刑法116条に規定する「大逆罪」によって、津田三蔵に死刑を「類推適用」するように働きかけ、伊藤博文は死刑反対の意見あらば「戒厳令」を発してでも断行すべきと主張、松方正義(首相)・西郷従道(内相)・山田顕義(法相)等が死刑適用に奔走した。只、旧刑法116条は、「外国の皇族(王族)」に対する犯罪は想定していないため、法律上はニコライを「民間人」と全く同じ扱いにせざるを得ず、しかも当人が死亡していないこともあり、最高刑は「謀殺未遂罪」適用による「無期徒刑(無期懲役)」が限度であり、大審院院長・児島惟謙は、「法治国家として法は遵守されなければならない」とする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」と主張、「国があっての法律である。法律を厳格に守って国が滅ぶのでは意味がない」と、旧刑法116条で裁くよう主張する松方正義と対立、「国家か法か」という回答困難な問題が発生したが、結局津田三蔵には、旧刑法292条が適用され、「一般人に対する謀殺未遂罪」により、無期徒刑の判決が下された。尚、津田三蔵は収監の翌々月に死亡、政府内では西郷従道・青木周蔵(外相)が引責辞任、山田顕義が病気を理由に辞任しているが、「大津事件」は行政の干渉を受けながらも司法の独立を維持し、三権分立の意識を広めた近代日本法学史上重要な事件とされ、今日に至る。

 

T京S聞が「11月3日」に「大津事件」を持ち出したのは、「司法権の独立」に対する危機感からである。安保法制違憲訴訟・臨時国会召集要求・辺野古埋立訴訟・参院選格差訴訟etcで、裁判所が「腰が引けてしまう印象」「三権分立が溶けていくような感覚さえ持ちます。」と、T京S聞は恐れおののく。

 

しかし、現行憲法は「戦争放棄」を謳っているが、「政府が国を守る」ことまで放棄するとは書いてない。臨時国会の開催に暇がかかるのは、憲法の精神は法律化されることで現実のものになることを忘れた立法府の怠慢故であり、辺野古埋立は「儲けさせろ」という沖縄県の土建屋の声に配慮したもので、「1票の格差」は立候補者の都合であり、どんなに格差を是正しても、「投票率」が伸びなければ「絵に描いた餅」でしかない。社説の末尾は、

 

「司法には自らの『裁量』をいかんなく発揮してほしいものです。良心をもって。」

 

という文章で締め括られているが、社説で取り上げた訴訟について、司法は「良心」を発揮している。T京S聞こそ、自らの「裁量」で「報道しない自由」を行使し、望月衣塑子を野放しにしていることを恥じるべきではなかろうか?「良心」があるなら。