法顕三蔵の、天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、『さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を人の国にて見え給ひけれ』と人の言ひしに、弘融僧都、『優に情ありける三蔵かな』と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくく覚えしか。
現代語訳
法顕三蔵はインド(天竺)に渡ったが、(ホームシックで)故郷の扇を見ては悲しみを感じ、病に臥せれば故郷の中国(漢)の食事を求めたということだ。その話を聞いて、『高僧の三蔵ともあろう人物が、外国でなんと無闇に気弱な態度を見せたものか(情けないことだ)』と人が言っていた。しかし、弘融僧都は『何とこころが優しくて情け深い三蔵であることよ』と感嘆したが、その様子はあまりに法師らしくない感じで奥ゆかしく思った。