労働とは何かを考える

 

労働を考えるには、人生という事を考えなければなりません。一人の人間の人生は生まれた場所と時代の中で育ちますが、いつの時代でも場所でも多くは「働く」という事が当然の生き方として教えられます。個人に限ってみれば労働とは遠い生き方をした人もいたとされますが、直接的な賃金労働以外でも宗教や学問に従事したり、家族の為に家事をしたり子育てをするなど、様々な働き方で社会や地域・家庭に貢献した人々が現代社会を作る要素になっています。

 

「働く」と「労働」は厳密には同じものではありません。ヨーロッパで産業革命が始まった時に、その当時に新しい働き先として工場が出現しました。工場の出現により人間の働き方は大きく変わり、経済学者がその現象を考えるために「働く」という概念とは分けて「労働」と呼んで考察した所から、広まっていったようです。

 

では何が違うかと言えば、「働く」は宗教・文化・地域性などを含む広範な概念であるのに対し、「労働」は経済学の言葉として、主に賃金を貰って従事する職業に対して使われました。産業革命や交通網の整備に伴い、経済活動が急激に大きくなりました。「働くとはどこそこの村ではこうだが、別の村ではこうである」というような分析が素朴過ぎた為に、「労働」という新しい概念を作ったのです。

 

学者の歴史は置いておくにせよ、私たちが普段考える労働とは、お金をもらって働くことです。近代化以前の働き方は、働く地域と時代の影響で文化的なやり取りが多く行われていました。しかし、産業革命以降の労働は、数字で表される金額以外を切り捨てて、人間を交換可能な部品とみなす考え方が蔓延しました。産業革命が起こったヨーロッパ、和魂洋才をスローガンに掲げた日本、現在の発展途上国は、いずれも同じ歴史をたどっています。今は後進国と呼ばれている地域も、必ず直面する問題になるでしょう。

 

21世紀を生きる私たちは、労働がもたらす闇の部分を見つめなおし、「人間らしい働き方」を考える必要があります。産業革命以降に現れてきた労働問題は、二百年の間に引き継がれたり、新たな問題を生み出しています。経済的利益を優先することで、社会が損なわれてはいけません。そこには複雑な歴史があり、また強い経済に依存して多くの人の生活が成り立っているというジレンマもあります。

 

問題は深刻で大きいので今すぐ答えは出ないにせよ、労働と経済について社会全体が大きな問題として共有する必要があります。

 

                                                                             事務局長 山田 完