太平洋戦争後半に日本が戦線に投入した2000馬力級エンジンを装備した戦闘機は海軍の紫電・紫電改と陸軍の四式戦疾風の3機種でいずれもエンジンは中島の誉(ハ45)だった、(^_^;)😇😅🛩️。このエンジンは当時の日本の工業技術力を超えたエンジンで燃料も100オクタンという当時の日本では精製できないハイオクガソリンを使用する規格のエンジンだった、(^_^;)😇😅🛩️。当時の海軍のガソリンは91オクタン、陸軍では87オクタンのガソリンを航空燃料として使用していたそうだ、(^_^;)😇😅🛩️。
海軍の紫電は約1000機、紫電改は約400機が生産されたが、陸軍の四式戦疾風は大東亜決戦機として3500機が生産された、(^_^;)😇😅🛩️。紫電は胴体が太く翼が中翼だったことから前下方視界が悪くまた二段引込み式の長い脚の折損や油圧機構の作動不良が頻発して性能的にも機体の工作不良や誉エンジンの不調で658キロという計画最高速度も574キロ程度しか発揮できずに成功作とは言えなかった、(^_^;)😇😅🛩️。改良型の紫電改は胴体を再設計して紫電の欠点は修正されたが、誉エンジンの不調でやはりカタログ性能は出せなかった、(^_^;)😇😅🛩️。
陸軍の四式戦疾風は戦闘機製作の名門中島飛行機が設計製作していたが、自社製のハ45エンジンの不調とラチェ電動プロペラの作動不良などでやはりカタログ性能が出せなかったそうだ、(^_^;)😇😅🛩️。海軍の紫電改と陸軍の疾風を比較すると海軍の紫電改は翼面荷重がやや低く運動性を重視した仕様だったが、陸軍の疾風は翼面荷重が高く高速を狙った機体になっていた、(^_^;)😇😅🛩️。紫電改の速度は594キロ、疾風は624キロでやはり疾風の方が高速だった、(--〆)🤬😠😈🛩️。
戦後の米軍側の試験では疾風は時速689キロを記録、紫電改も600キロ台の後半を記録しているようだが、試験の条件が様々なので参考といったところのようだ、(^_^;)😇😅🛩️。武装は紫電改が20ミリ機銃4門、疾風は20ミリ機関砲2門、13ミリ機関砲2門で紫電改がやや強力ではある、(--〆)🤬😠😈🛩️。
実戦では海軍は紫電改を343航空隊で集中使用して戦果を挙げたが、陸軍の疾風はそのような華々しい戦果はない、(^_^;)😇😅🛩️。これは機体の性能云々よりも海軍と陸軍の役割や戦術的な相違が原因だろう、(--〆)🤬😠😈🛩️。紫電改も疾風もエンジンの不調に泣いたが、陸軍では部隊によっては整備を徹底して稼働率を100%近くに上げた部隊もあったそうだ、(--〆)🤬😠😈🛩️。しかし運動性の良い一式戦や五式戦を好む搭乗員も多かったとか、(^_^;)😇😅🛩️。
紫電改と四式戦疾風は崩壊していく大日本帝国を支えて太平洋戦争末期の戦線で勇戦した戦闘機ではあったが、日本の工業技術力がもう少し高ければもっと活躍できただろう、(^_^;)😇😅🛩️。紫電改も四式戦疾風も当時の日本で作り得る最高の高性能戦闘機だったが、性能的にも量的にも崩壊していく大日本帝国を支えることはできなかった、(--〆)🤬😠😈🛩️。
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