日本海軍の艦上戦闘機開発は複葉鋼管羽布張りの90式艦戦、その性能向上型の95式艦戦から全金属製単葉セミモノコック構造の96式艦戦、そして引込脚に20ミリ機銃装備の零式艦戦へと順調に発展してきた、(^_^)/~😇😅👿🛩️。零戦は太平洋戦争前半は優れた運動性と大口径機銃の破壊力に熟練搭乗員の優れた技量で連合軍の戦闘機を圧倒した、(^_^)/~😇😅👿🛩️。


ところが海軍はこの零戦を更新することができなかった、(ーー゛)😅👿🛩️。その最大の原因は2千馬力級エンジンの開発が遅れたこと、そして三菱の設計陣に14試局戦、後の雷電、の開発を担当させたことで三菱の設計陣に新たな艦上戦闘機開発を行う余裕がなくなってしまったことだろう、(ーー゛)😅👿。雷電は他の会社にやらせるか陸軍の二式単戦を使えばよかった、(^_-)-☆😉😄。当時の陸海軍の仲の悪さから陸軍の戦闘機を使うのは無理という意見もあるだろうが、偵察機などは陸軍の機体を借用しているからできないことはなかったと思う、(^_-)-☆😉😄🛩️。


そして零戦52型を出した時にエンジンを栄から三菱の金星に換装すべきだった、(^_-)-☆😉😄🛩️。海軍は航続距離が落ちる割に速度などの向上が小さいと言って認めなかったが、エンジンのパワーが1.5倍になれば飛行性能はかなり向上するだろう、(^_-)-☆😉😄🛩️。零戦52型はそれまでの格闘性能重視の軽戦から縦の運動性重視の重戦へと零戦が性格を変えた戦闘機だからパワーアップは必然で航続距離はデカい増槽でも下げればいい、(^_-)-☆😉😄🛩️。パワーアップした零戦で凌いでいる間にハ43エンジンの開発を急いで19年半ばまでは零戦52型で頑張る、(--〆)😠🤬👿。


そしてハ43エンジンを載せた烈風を昭和19年半ばまでに完成させる、(^_-)-☆😉😄🛩️。烈風はいろいろ言われるが、ハ43を搭載した烈風であればF6FやF4Uには優勢だっただろう、(^_-)-☆😉😄🛩️。まあこれも数の問題でまとまった数の烈風を投入できればの話ではあるが、(--〆)😠🤬👿。中島の誉エンジンは海軍がぞっこんで何でもかんでも新型機は誉エンジンだったが、どれもまともには飛んでいない、(--〆)😠🤬👿。だいたい自国で生産できずに戦争の相手国の米国から輸入しているハイオクガソリンを使うことでカタログ性能を出すなど正気の沙汰ではない、(--〆)😠🤬👿。


まあ仮にこうして烈風などの新型機を戦線に投入したと言っても米国に勝てるわけではないし一部の局地戦でちょっと有利になった程度だろう、(--〆)😠🤬👿🛩️。零戦が第一線で優勢を保てるのは昭和18年前半辺りまで、本来ならそこで新型機を投入できればいいのだが、さすがにそれはちょっと無理だろう、(ーー゛)😅👿🛩️。個人的には烈風は翼面荷重170キロ程度で速度を優先した方がよかったと思う、(^_-)-☆😉😄🛩️。紫電改もその程度なので空戦性能向上は空戦フラップなどを使って向上させればいいと思う、(^_-)-☆😉😄🛩️。


烈風、駄作だのと言われるが、エンジンさえ適当なものがあれば当時の日本海軍の艦上戦闘機としては優秀な機体で言われるほど駄作ではないと思う、(^_-)-☆😉😄🛩️。ただ欧米ではジェット機の時代になりつつあったので寿命は短かっただろう、(ーー゛)😅👿😇🛩️。