太平洋戦争では戦いの様相はそれまでの戦艦同士による砲撃戦から空母機動部隊の航空機による機動打撃戦に取って変わった、(○_○)!!👀‼️👿。その先鞭をつけたのが日本海軍で開戦時空母6隻からなる機動部隊を編成してハワイを空襲、さらには東南アジア、インド洋まで足を伸ばして欧米勢力を一掃した、(○_○)!!👀‼️👿。
その時の空母は戦艦から改造した赤城、加賀、中型空母の飛龍、蒼龍、新型の大型空母翔鶴、瑞鶴の6隻で艦載機は400機を誇った、(○_○)!!👀‼️👿。この機動部隊はミッドウエー海戦で赤城、加賀、蒼龍、飛龍が撃沈されて壊滅してしまった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😣💦⤵️👿。
世間ではこれが戦局の転機とか機動部隊の油断と言うが、敗戦の原因は連合艦隊と軍令部の意思統一が不十分で作戦目的を絞り込めなかったこととアリューシャン奇襲などやらなくてもいい作戦を計画して戦力を分散したことだろう、(ーー;)(/o\)👿。またミッドウエー海戦の敗戦は手痛い敗戦だったが、それでも日本海軍は太平洋方面では優勢を保っていた、(⌒‐⌒)⛴️😃⤴️😃🎵👿。残った大型空母の翔鶴、瑞鶴を中心に第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦を戦い、また艦載機をラバウルに派遣して航空撃滅戦を行うなど激戦を繰り広げた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😣💦⤵️👿。
しかしミッドウエー海戦などで多数の空母を失ったことで日本海軍は機動部隊の再建を急ぎ、昭和19年には新鋭重防御空母大鳳を加えて大型空母3隻、改装空母2隻、小型空母4隻、艦載機450機の日本海軍歴代最大の空母機動部隊を再建したが、米海軍は大型空母7隻、軽空母8隻、艦載機900機を擁する空母機動部隊で迎え撃って数で劣り搭乗員の錬度も低下していた日本海軍機動部隊を圧倒した、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😣💦⤵️👿。
その後も日本海軍は機動部隊の再建を目指すが、レイテ沖海戦では米海軍機動部隊をおびき出す囮として使われて最後に残った大型空母瑞鶴以下4隻の空母は全滅した、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😣💦⤵️👿。太平洋戦争は戦前に海軍が予想した通り開戦時から2年後の日本軍のソロモン諸島方面撤退で勝敗が決していた、(ーー;)(/o\)👿。
その後の戦闘は米軍による残敵掃討戦だった、(ーー;)(/o\)👿。日本海軍の空母は閉鎖格納庫を持ち荒天の多い太平洋では艦載機の保護には具合が良かったが、被弾すると爆風が飛行甲板を破壊して航空機の離発艦が不能になるなどの欠点があった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😣💦⤵️👿。また消火装置も炭酸ガスを放出するものだったが、被弾して破孔が出来ると役に立たなかった、(ーー;)(/o\)👿。
そうした様々な戦訓で改装を重ねて可燃物をすべて下ろして艦内のペンキをすべて剥がしてガソリン庫の周囲はコンクリートで固めて油火災に強い泡沫消火装置を備えた瑞鶴は最後の戦いで魚雷7本、爆弾5発以上を被弾するまで勇戦敢闘して沈没した、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😣💦⤵️👿。
その後大和型戦艦を改装した空母信濃が潜水艦に撃沈されて再建機動部隊の中核を担うべく建造された改飛龍型の雲龍、天城、葛城も艦載機もなく物資輸送などに使用されたり港に係留されて撃沈された、(ーー;)(/o\)👿。葛城は生き残って復員輸送に使用されたのちに解体された、(ーー;)(/o\)👿。その他の残存空母もすべて解体されて日本海軍機動部隊はその姿を消した、(ーー;)(/o\)👿。
海上自衛隊が創設されてから何度か空母保有が計画されたが、様々な事情で果たせず戦後80年、海上自衛隊創設70年にして遂に日本はいずも、かがという護衛艦にF35Bを搭載することで空母機動部隊の保有を成し遂げた、(⌒‐⌒)⛴️😃⤴️😃🎵👿。しかしせっかく保有した空母機動部隊だが、その空母機動部隊が実戦を戦うことがないよう祈りたい、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵(^^)/\(^^)👿。