昭和の初期、日本は航空機の設計製造に関しては後進国で欧米から技術者を招聘して機体設計の指導を仰ぎ、エンジンは欧米製のものを使用していた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。


これではいかんということで海軍など軍が主導して三菱重工、中島飛行機(現SUBARU)などの航空機製造会社と協力して飛行性能の向上に重点を置いた航空機の開発を推進して太平洋戦争開戦時には零戦、一式陸攻、97式艦攻、99式艦爆、一式戦、二式単戦、百式重爆など欧米の第一線機に劣らない機体を揃えることができた、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。しかし肝心のエンジンとプロペラは米国製のコピーあるいは米国製のものを基本型に開発したものだった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。


戦争が始まって昭和18年になると米国は2千馬力級のエンジンを積んだ海軍のF6F、F4U、陸軍のP47、P51などの新鋭機を続々と戦線に投入、日本陸海軍の航空機を圧倒した、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。


日本側も誉(ハ45)やハ43など2千馬力級エンジンの開発を推進していたが、日本の工業技術力を超える高度な設計に加えて日本では精製出来ない100オクタンの燃料を必要とするなど米国から技術や燃料を買っていた日本では計画したパワーが出ず、また故障が多く航空機の稼働率を落としていた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。


海軍の紫電改、陸軍の四式戦などはエンジンさえきちんと動けば米軍の新鋭機に対抗することができたが、エンジンの不調やらフランスから導入したラチェの電動式プロペラ、ドイツから導入したVDM式油圧プロペラの不調が拍車をかけた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。


その当時日本が入手可能な高性能戦闘機用エンジンは三菱の金星でこのエンジンは燃料直噴、水メタノール噴射装置付で最大出力は1500馬力、設計は古いが、その分こなれた使いやすいエンジンだった、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。


このエンジンを積んだ機体は陸軍の五式戦、百式司令部偵察機、試作機のキ96、海軍の99式艦爆、瑞雲水上爆撃機、零式水上偵察機、96式陸攻など派手さはないが、安定した機体が多かった、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。


戦争前半は米軍戦闘機を圧倒した零戦も中期になると米軍の新鋭機に苦戦するようになった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。そんな米軍の新鋭機に対抗するために零戦も武装を強化して防御力を高めた52型が開発されたが、エンジンは栄21型1130馬力のままだった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。


飛行性能を上げるにはエンジンのパワーを上げるのが一番効果的だが、海軍は航続距離が減少することを嫌って換装を認めなかった、(ーー;)(/o\)。もしもこの時点で零戦のエンジンを金星に換装しておけば零戦の第一線機としての寿命も延びただろう、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。


零戦も昭和19年の末から金星エンジンへの換装試作が始まり昭和20年4月に試作機が完成、五式戦同様にかなりの性能向上が認められたが、量産準備中に終戦となった、(ーー;)(/o\)😖💦。


陸軍の五式戦はダイムラーベンツのDB601水冷エンジンを搭載した三式戦がエンジンの不調で生産が進まないことから金星エンジンに換装した機体だが、戦争末期に中島の誉エンジンを搭載した機体がエンジンの不調でまともに飛ばない状況の中で五式戦は「燃料と油さえ入れれば飛ぶ」というくらい安定した機体だった、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。


「五式戦で戦えば絶対不敗」とまでいう搭乗員もいたそうだ、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。それはカタログ通りの性能が出るということだろうが、当時の日本陸海軍の航空機はそこまで不調に悩まされていた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。


零戦も昭和18年に金星エンジンに換装しておけば性能の低下を防止して活躍しただろう、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。だからといってそれで戦局が変わるなどということはないが、局地戦ではもう少し有利に戦えただろう、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。海軍の石頭にも困ったものではある、(ーー;)(/o\)😖💦。