太平洋戦争の勝敗の分岐点は一般的にはミッドウェー海戦の敗戦と言われている、(ーー;)。実際にそうなんだろうか、(ーー;)。ミッドウェー海戦は主力空母4隻に艦載機300機を失う手痛い敗戦だったが、あくまでも戦術的敗戦で戦略的に負けたわけではない、(--)/===卍。
ミッドウェー海戦の失敗は戦術的目的がミッドウェー島の占領か、米機動部隊の殲滅か、はっきりしていなかったこと、そのために上層部の意思統一が図れなかったこと、ダッチハーバー空襲だのミッドウェー島攻略だのはるか後方に配置した主力部隊だのと戦力を分散し過ぎたことで暗号が解読されていたことや情報が駄々漏れだったことは米機動部隊を誘い出すなら特にマイナスではなかった。
ミッドウェー海戦で空母4隻を失った日本海軍はその補充に躍起になったが、それは近い将来のためだった。実際にはミッドウェー海戦後も日本海軍は太平洋において戦略的には優勢で変わったのは連合艦隊から軍令部側に作戦の主導権が移行したことだった。そして軍令部は「米豪分断」とかとんでもないことを考えてソロモン、ニューギニア方面に攻勢に出ている。
日本の敗戦を決定付けたのはこの方面での一大消耗戦でソロモン方面での1年間の戦闘で日本の国力はすっかり底をついてしまった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/(/o\)。失った戦力は艦船25万トン、航空機7千機、その他大量の輸送船や物資を喪失して貧弱で底の浅い日本の工業力ではどうにもこうにも埋め合わせが出来なくなって米軍の戦力とは大きな差が空いてしまった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/( ̄□ ̄;)!!(ーー;)(/o\)。米軍も同程度の損害を被っていたが、米国の巨大な工業力はその損失を埋め合わせただけでなくさらに巨大な戦力を積み上げた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/( ̄□ ̄;)!!(ーー;)(/o\)。
ガダルカナル島撤退を含めてソロモン方面から戦力を引き上げてマリアナ諸島などの内南洋と称した地域で防衛線を構築することに決した時点で日本は敗北していた、(○_○)!!\(゜ロ\)(/ロ゜)/(/o\)。それ以降の戦闘は米軍にしてみれば残敵掃討戦であった、(--)/===卍。海軍は戦前に自ら予想した通り2年間は米軍と五分に戦って予想通り敗れたのである、(ーー;)(/o\)(O.O;)(oo;)。
ミッドウェー海戦で主力空母4隻を失ったのは痛かったが、搭乗員はさほど戦死していなかったそうだ、(○_○)!!。また航空機300機も取り返せない数ではない、(ーー;)。連合艦隊と軍令部との意思統一が不十分で作戦の主目的が明確に出来なかったことに加えて上層部の米軍に対する認識が甘かったことも敗戦の原因だろうが、あくまでもミッドウェー海戦の敗戦は戦術的敗戦である、(ーー;)。
仮にミッドウェー海戦で日本海軍が勝っていても昭和18年末には戦力的に大きな差が出来ていてマリアナ諸島沖海戦では日本海軍はコテンパンに負けただろう、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。日本の敗戦の原因は米国と当時の日本の国力や工業力の差でありミッドウェー海戦で勝ってもガダルカナル島攻防戦で勝っても結局は戦争が半年か1年ほど長引いただけで日本に勝てる目はなかった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/( ̄□ ̄;)!!(ーー;)(/o\)。
終戦後日本に進駐してきた米軍が当時の日本国内の現状を見て「こんな国を打ち負かすのにどうして我々は4年もかかったんだ、(○_○)!!\(゜ロ\)(/ロ゜)/(O.O;)(oo;)と当時の日本のあまりの貧弱さに驚いたそうだが、太平洋戦争は開戦前から勝敗は決まっていた戦争だった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/( ̄□ ̄;)!!(ーー;)(/o\)。