昨日の記事で太平洋戦争当時の米軍は自軍の被害を過少発表していたと書いたが、それには米国なりの事情があった。当時の日本はナチスドイツを見習って強力な一党独裁体制を敷こうと政党を大政翼賛会にまとめて政党活動を制限していたが、米国はバリバリの民主制で選挙も当然行われた。だから作戦で大きな被害が出たり時間がかかったりするとメディアに批判されたり戦死者の遺族から非難されて訴訟になったりした、(○_○)!!😱👀‼️。そしてその結果選挙で敗北するなんてこともあり得たので被害を極少化して発表していたし、大きな被害を出した作戦を指揮した司令官は更迭されたりした。当時の政府にとって敵以上に恐ろしいのは民意だったのかもしれない、( ̄□ ̄;)!!😱👀‼️😅。そのために潜水艦が期限内に帰投しないと撃沈されたことが分かっていても「作戦行動中」としたり出撃した航空機も複数の目撃があって撃墜されたことが明らかな場合以外は行方不明とか事故としてできるだけ被害を少なく発表していた、(○_○)!!😱👀‼️😅。戦後大本営発表が大ボラなことが分かって非難が集中して米軍発表をむやみやたら祭り上げる傾向があるが、米軍発表は上記の通り自軍の被害をできるだけ少なく発表していたそうだ、(○_○)!!😱👀‼️😅。これには部隊の士気を高めて鼓舞する目的もあったようだ。紫電改を装備した海軍の343空の戦果を米軍発表と照らし合わせて「誇大」という向きもあるが、確かに撃墜数などは重複や見間違えもあるだろうが、米軍側の過少発表も考慮すべきだろう。昭和20年3月に松山上空で行われた343空と米軍側との戦闘では墜落する航空機は米軍側のものが圧倒的に多かったという目撃があるので日本側被害16機に対して米軍側の被害が14機というのも眉唾物ではあるし、戦艦大和を撃沈した米軍機の被害が10機というのも対空火器を満載した10隻の艦隊の戦果としては少なすぎるように思う、❔😁🌀😵🌀。これも圧倒的な勝利を印象付けるための作為だろう。また戦争末期に海軍はウルシー泊地から沖縄に物資を運ぶ米軍の輸送船に対して自由行動による潜水艦戦で対抗してかなりの戦果を挙げたとしているが、米軍側の発表では日本側の戦果をほとんど認めていないという。しかし防衛省でも米軍側が発表していない被害がかなりあることを認めているが、詳細は不明という。戦争末期になると米軍は日本の戦力をバカにして輸送船などは護衛なしで単独で航行していたので被害が大きいとマスコミなどから吊し上げをくらうので隠せるものは「任務続行中」とか言って隠したのだろう、❔😁🌀😵🌀。戦争後半の大本営発表は確かに大ウソ大ボラだったが、米軍側も様々事情があって正直に被害や戦果を発表していたわけではない。結果としては日本が負けたのだしホラ発表していたのも事実だからあまり大きなことは言えないが、それでも米軍もウソ、ホラ発表をしていたことに変わりはない。日本が米国とまがいなりにも互角に戦えたのは昭和18年まででそれ以降は負けに負け続けて国家の命運をかけた連合艦隊も壊滅してしまったが、それでも米軍の心胆を寒からしめるような健闘をしたことは忘れてはいけない。それは戦争がいいの悪いのとは別の問題で戦っていた兵士もすべからく戦争の被害者なのだから、・・黙祷。