太平洋戦争でどうすれば日本が勝てたかなんて記事をよく見る。天才と言われた陸軍の石原莞爾も「自分がやれば勝てた」と言っていたが、それは南進、北進を止めて東南アジアの資源地帯の確保に重点を置くと言ったような戦略だったように思う。結論から言えばたとえどんなことをしても当時の日本は米国には勝てない。できたとしても敗戦を少し先に伸ばすくらいだろう。ミッドウェー海戦が勝敗の分岐点と言われるが、ミッドウェーの敗戦は確かに手痛い敗戦だったが、まだ日本海軍は太平洋で優勢を保っていた。それが証拠にはミッドウェー海戦後に海軍は米豪分断などというとんでもない侵攻作戦に出ている。日本が敗戦への道をたどり始めたのはガダルカナル島を巡って行った消耗戦で国力が底をついて米国と大きな戦力差が生じたことが原因である。それでもミッドウェーで主力空母4隻を失った海軍は空母戦力の回復に全力を挙げて取り組む。そして終戦までに建造した正規空母は大和型戦艦改造の信濃を入れて5隻だった。対する米海軍は日本海軍の瑞鶴級空母に匹敵するエセックス級空母を24隻、インディペンデンス級軽空母9隻、商船改造の護衛空母100隻を建造した。日本が米国に負けたのはレーダーや近接信管とか科学技術で負けたと言われるが、敗戦の理由は工業生産力の差で仮に当時の日本の科学技術が米国よりも進んでいたとしても敗戦が多少伸びたくらいで勝てなかっただろう。当時の日本と米国の工業生産力は米国を100とすると日本は9しかなかったそうだ。これでは10年経つと戦力差は100対1になってしまう。山本五十六が短期決戦を目指したのも米国と日本の工業生産力の差を理解していたからだろう。国家総力戦は戦場に投射可能な火力量で勝敗が決まってしまう。こっちが大砲1発撃てば相手は10発撃ち返して来る。これでは勝てる訳がない。実際にガダルカナル島の攻防戦で5分に1発重砲を撃つと米軍はジャングルがすっかり切り開かれるくらい撃ち返してきたそうだ。この工業生産力の差は昭和18年の末にはソロモンの消耗戦で国力が底をついた日本がどう足掻いても取り返すことができない程の差になってしまっていた。だからガダルカナル島攻防戦の終結を以て戦争の勝敗が決まっていてその後の戦闘は米軍にとっては残敵掃討戦だったという。海軍は米軍と戦えるのは2年と見ていた。それは石油の備蓄量から算定したとされるが、開戦後2年で米国の工業生産力がフル回転した時の生産力の差もあっただろう。また陸軍にも米国と戦っても勝てないと見ていた上級士官はたくさんいたという。それでもなぜ米国に宣戦布告したかというと強気を張ってきた軍部が米国の経済封鎖に対して屈服することができなかったことが原因だろう。それに戦争をしないと軍という組織の拡大が図れないからだろう。日本が米国側についていたら太平洋戦争は避けられたかもしれないが、その後の朝鮮戦争やベトナム戦争などの共産国との戦いは日本が主体になって戦われただろう。何が良くて何が悪かったのかなんてことはやってみないと分からないが、米国との戦争については日本がどうやっても勝ちはなかっただろう。歴史の「たら、れば」は禁句というが、太平洋戦争に関しては何がどうなっても日本に勝ちはなかった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/(ーー;)😁🌀😱💧😅。