太平洋戦争に至る以前の昭和初期に日本陸海軍は民間企業と一体になって近代的航空機の開発に努めて開戦時には欧米に匹敵あるいは一部凌駕する航空機の実用化に成功している。海軍の零戦、97式艦攻、99式艦爆、96式陸攻、一式陸攻、陸軍の一式戦、二式単戦、二式複戦、三式戦などそれぞれ一長一短はあるが、当時の欧米の航空機に匹敵する性能を持っていた。しかし戦争の中期になると米国は2千馬力級エンジンを搭載した新型機、海軍のF6F、F4U、陸軍のP51、P47などを戦線に大量に投入してきた。日本陸海軍もこれらに対抗する新型機の開発を急いだが、完成したのは海軍の紫電、紫電改、陸軍の四式戦だけでそれも搭載するエンジンの不調が克服できず戦争末期に一部で活躍したのみだった。日本陸海軍はB29の空襲に備えて海軍は烈風、烈風改、天雷、震電、電光、閃電を、陸軍はキ87高高度戦闘機、キ94高高度戦闘機、キ98、キ102、キ108などの開発を急いだが、いずれも試作あるいは計画で終わっていて実際に完成して戦闘に参加した新型機はなかった。要するに日本陸海軍は安定した2千馬力級エンジンを作ることが出来ず開戦時の機体で最後まで米軍の新鋭機を相手に戦ったことになる。日本陸海軍は2千馬力級の戦闘機用エンジンを開発しようとしたが、中島のハ45、三菱のハ43ともに試作の域を出ずあるいは技術的問題から安定した性能を発揮できず海軍は零戦の改修を繰り返したが、装備を加えて機体が重くなっているのにエンジンのパワーを増強することをせずに改造を続けてまた新型機では不調を克服できないハ45装備にこだわり続けた。陸軍は戦争末期になって不調の水冷エンジンやハ45に見切りをつけて安定した性能を発揮できるハ112Ⅱに換装して五式戦などで成果を得ている。また陸軍はキ96という二式複戦の改良型を試作したが、この機体はそこそこの性能を発揮したが、大型機迎撃の必要性を感じなかった陸軍は量産することをしなかった。もしも量産していたらB29の迎撃にバッタバッタ撃墜とは行かないまでもそこそこ活躍しただろう。この機体もハ112Ⅱを搭載していた。いずれにしても日本の航空機工業は米国の技術を導入して発展してきたが、その米国にケンカを売ったのでは仕方なかった。ハイオクガソリンもエンジンオイルも米国から輸入していたそうだ。日本にもハ112Ⅱ、海軍名称金星という安定した性能の1500馬力級エンジンがあったのでこれをうまく使えば良かった。零戦も52型になった時にエンジンも金星に換装しておけばもう少しは第一線で戦えただろう。三菱側はエンジンの換装を主張したが、海軍は航続距離が減少するわりには速度の向上が少ないと換装を認めなかった。戦争末期にエンジンの生産の都合もあって金星に換装した54型を試作したが、時既に遅かった。技術は一朝一夕には進歩しない。戦況が悪化すれば形勢を一挙に逆転したいというのも分からないでもないが、その時入手できる最良のものを組み合わせて成果を得るという考え方があっても良かったように思う、\(^_^)/🙆🆗🎃🐲⛩️。