今日は肉じゃがと東郷平八郎さんの話が出たのでついでに日露戦争でもちょっと振り返ってみよう。日露戦争は日本とロシアが戦った戦争で日本が勝利したことになっている。当時日本は朝鮮半島を足掛かりに満州の権益に手を伸ばそうと狙っていた。ロシアも南進して不凍港を確保しようとしていた。また中国に莫大な権益を有する英国はロシアの南下によってその権益が侵されることを危惧していたし、米国もロシアが太平洋に進出してくることを警戒していた。そこで両国は日本をけしかけてロシアと対決させることを計画した。当時の日本はまだまだ後進国で戦艦などは自国で建造出来ずすべて英国から買っていた。英米は日本に武器を売却するとともに日本の戦時国債を買い支えた。日本は開戦から黄海海戦や旅順攻略などロシア側の国内の混乱もあって戦闘を有利に進めたが、常に武器弾薬など物資の不足に苦しみ多くの人的損害を被った。旅順攻略でもロシア側の複郭陣地に対して弾薬不足から十分な事前制圧射撃が出来ず無理な突撃を繰り返して多大な人的損害を出した。そして奉天で日露の大会戦が行われたが、双方ともに決定的勝利を収められずに膠着状態となった。そしてロシアのバルト海艦隊の極東回航と日本海海戦だが、バルチック艦隊はバルト海用の寄せ集め艦隊で喫水も浅く大洋を航海して戦闘するような艦隊ではなかったそうだ。そんな艦隊が英国の妨害を受けながら6ヶ月、一万六千キロを航海して日本に着いた時には食用に積んでいた家畜は成長して艦上を駆け回り船底には海藻や貝殻が大量にこびりつき乗組員は反乱寸前で戦闘を行うような状態ではなかったそうだ。それでも戦艦8隻を主力とするバルチック艦隊を壊滅させた結果に英米も驚愕したという。しかし開戦1年半で日本の国力は完全に底をつきこれ以上戦争を継続することが困難な状態になっていた。それを察した米国が講和の仲介をしたが、ロシア側は「個々の戦闘では敗戦もあるが、戦争に負けているわけではない」となかなか講和に応じず最終的にロシア側は満州以北に撤退して南樺太を日本側に割譲するなどの条件に応じ講和が成立したが、賠償には一切応じなかったという。日本側もこれ以上戦争を継続する力もなく賠償なしで講和に応じざるを得なかったが、日清戦争で莫大な賠償を手にしたことを知る民衆はマスコミの扇動もあって政府の態度に反発して暴動が起こったりもした。日露戦争での日本の勝因は帝政末期のロシア国内の政情不安などもあるが、何より英米という当時の超大国が日本を支援していたからでそれがなかったら日本はどこかの戦闘で大敗していた可能性もある。その後の日本は第一世界大戦で漁夫の利を占めて「不敗の神国」などと傲って相変わらずの貧弱な国力で超大国の英米にケンカを売って完膚なきまでに大敗している。戦争はやるべきではないが、万やむを得ずにやらなければならない時はなにがなんでも勝たないといけないが、それ以上に大事なことは戦争を冷徹に分析して事後に生かすことだろう。それがしっかり出来ていれば日本は英米にケンカを売って完膚なきまでに大敗することはなかったかもしれない、\(^_^)/🙆🆗🎃🐲🐙👀‼️😅。


今日1日を振り返ろう

 

 

 

 

 

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