太平洋戦争当時の日本の各種技術は欧米のそれと比べてどうだったのだろうか。まず航空機だが、機体設計はさほど劣ってはいなかった。エンジンは周回遅れ、エンジンの高高度性能を維持する過給器は予選落ちで勝負にならずと言ったところだろう。ジェット機とジェットエンジンの開発については出力や耐久性、信頼性で劣っていたが、戦争末期の物資の不足や空襲による生産設備の破壊を考慮するとやむを得ないだろう。防弾については設計哲学の相違もあるが、燃料タンクの防弾を研究し始めたのは日米独とも一緒で英国が最後だそうだ。しかしガソリンで溶けない防弾ゴムの開発など化学的な分野は遅れていた。装備品の機銃は欧米製品のライセンスかコピー、無線機はこれも至近距離でないと全く聞こえず予選落ちと言ったところだろう。

 

艦船については造船技術はさほどでもないが、造船技術のうちで電気溶接は遅れていた。またダメージコントロール機能も一歩遅れていた。また高温高圧蒸気機関の製造でも劣っていた。装甲板の製造も冶金技術の遅れで耐弾性能が劣ったようだ。日本で建造した戦艦の装甲板は日本のドリルで穴が開いたが英国で建造された戦艦金剛の装甲板は日本のドリルでは穴を開けられなかったそうだ。レーダーについては言われるほど劣ってはいなかったが、大出力のマグネトロンの製造などで遅れていて性能的には劣っていたそうだ。空母のカタパルトは実用化できなかったので予選落ちだろうか。その他潜水艦の防音技術も遅れていてドイツの技術者が日本の潜水艦を見て「これでよく大西洋を渡って来れたものだ」と驚いたという。また潜水艦探知技術についても遅れていて日本のソーナーではピンポイントで潜水艦を探知できなかったそうだ。魚雷については日本の酸素魚雷は欧米の魚雷を凌駕していたようだ。大口径火砲はほぼ同等だったようだ。射撃指揮措置については欧米はレーダーに原始的なコンピューターを組み込んで使用していたそうだが、日本も光学照準器とレーダーを使った射撃指揮をしていたそうなのでやや遅れていた程度だろうか。米国のレーダーも英国の技術供与なので周回遅れというほどでもないだろう。

 

陸軍のボルトアクション小銃は世界と比べても引けを取っていない。機関銃は強度の高いバネが作れなかったことと精密加工の遅れで欧米にかなり遅れていた。火砲については砲をけん引する機械力が貧弱だったことから軽量化を求められて全体に構造が脆弱だったようだ。また砲身の冶金技術が遅れていたことから射程や威力で劣り近代的な機械牽引火砲についてはフランスのシュナイダー社の技術を買っていたのでこれも周回遅れの類だろう。戦車については太平洋戦争開戦時には欧米と比較して遅れているわけではなかったが、その後の急速な重装甲化、火砲の強化に乗り遅れて欧米に比較してこれも周回遅れになってしまった。基本的に陸軍は予算を人件費に取られて戦車まで金が回らず戦車の増強にはさほど熱心ではなかった。その分航空機で戦車に対抗すればいいと言った考え方だった。また初速の高い強力な戦車砲が作れなかったことも周回遅れに拍車をかけている。

 

兵站輸送も自動車化されず馬や牛や人力だったと言うが、電撃戦と言われたドイツ軍も馬を使っていたので馬や牛が悪いわけでもないが、日本は車両の数がないこともないが、車の運転ができる人材が非常に少なかったようだ。当時は運転免許は特殊技能だったようだ。39式輜重車という馬1頭で引く荷車があったそうだが、36式輜重車の改良型とか。いずれも明治36年と39年に採用された荷車だそうだが、ほとんど戦国時代と変わらない輸送方式ではある。日本の陸戦兵器で効果大だったのは92式重機関銃と89式擲弾筒で重機が射撃を始めるとその安定した射撃に歩兵は大いに安心したと言う。また89式擲弾筒は機関銃陣地潰しなどに非常に威力があったそうで扱いに慣れた兵隊がやるとほとんど1発か2発で敵の機銃陣地を潰したそうだ。日本陸軍で特筆すべきは上陸用舟艇を多数収容した現在の揚陸強襲艦的なものを作って上陸作戦を行っていたことでこれは世界でも初のことだったそうだ。日本は海洋国で日本陸軍は外征軍だったので外に攻めていくにはこうした上陸作戦が必須だったのだろう。そうした部分や航空機などの開発装備に金がかかったので戦車などには金が行き渡らなかったのだろう。また港湾設備が貧弱で重量物を船に搭載することが出来なかったという事情もあるようだ。日本陸軍は機械化、装甲化で遅れていてそれは負の伝統として陸上自衛隊も引き継いでいる。その自衛隊も最近は装甲化、機械化、火力の強化に努めているようだ、・・😁🌀👋😞🎃😅🌴。

 

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9月ももう終わり

 

 

 

 

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