日本陸海軍にはそれぞれ士官を養成する陸軍士官学校と海軍兵学校があった。いずれも14歳から15歳の少年を選抜して4年間の教育を施して卒業後は初級士官に任命された。どちらも学校のレベルとしては旧制高校、今なら大学の教養課程、短大程度である。どちらも軍隊の幹部を養成するための教育機関だが、陸軍士官学校は完全隔離の環境で陸軍士官として必要な型にはめるために徹底した洗脳教育が行われた。海軍兵学校でも軍隊の幹部として必要な詰め込み教育や洗脳教育も行われたが、基本的には自由で合理的な気風があったという。海軍兵学校の入学試験の面接で面接官が「ここに5匹のサルがいて菓子が6個ある。5匹のサルに均等に菓子を分け与えるにはどうしたらいいか。」などという質問をして困っている受験生を見てニヤリと笑って「いいか、むつかしござると言うんだ」などと笑って話したという。どんな意図でそんな質問をしたのか本人聞かないと分からないが、質問された受験生の反応を見ていたのかもしれない。また陸軍の配属将校が嫌いで海軍を志望したと言うとにやりと笑って頷いたと言う。ただそんな自由括達な海軍兵学校の気風も戦争が始まると士官の大量養成のために期限短縮や遠洋航海実習の中止など余裕がなくなっていった。さらに敵性語廃止で陸軍士官学校が英語教育を廃止したが、海軍兵学校では当時の井上成美校長が「好むと好まざるに関わらず世界の公用語は英語である。海軍士官として外国語の一つも話せないような士官は世界で通用しない。海軍兵学校として外国語を学ぶ意思のない少年など必要としない。本職が校長である限り英語教育は廃止しない。」と言って英語教育を継続したそうだ。また井上校長は英語を学ぶにはいちいち日本語に置き換えたりしないで英語は英語で学ばないといけないと言って戦時で手に入らないオックスフォードのかわりに三省堂の英英辞典を入手して学生に配布したと言う。これはまさに的を得た外国語学習方法で戦後英語教育を継続したことに感謝した学生は多数に及んだと言う。ただ貴族的な気風や行き過ぎたエリート意識、排他性などが海軍機関学校や経理学校、下士官兵からは不評だったそうだ。一般の人気はスマートな海軍兵学校が陸軍士官学校を圧倒していたと言う。海軍兵学校側は陸軍士官学校のマキャヴェリズム的な思想を嫌っていたと言う。いずれも組織に必要な幹部を養成する機関でどちらがいいとか悪いではないが、陸軍士官学校はドイツを範とし、海軍兵学校は英国を範とした。しかし「スマートで目先が利いて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り」の格言が効いているのか、戦後の評判は海軍兵学校が断然いいようだ、\(^_^)/🙆🆗🎃😁🌀😋🎃😅。