陸軍が空母を建造して運用していたというと驚く👀‼️かもしれないが、実際陸軍は空母を持っていた。それはあきつ丸という船で通常は日本海運が所有する貨物船だった。しかしあきつ丸は排水量9100トン、飛行甲板の長さは150メートル、速力21ノット、高射砲や高射機関砲を備えて97式戦闘機13機、3式連絡機8機などを搭載、後に艦載機は対潜哨戒機として3式連絡機とオートジャイロに換装された。船体は全通甲板に右側にブリッジを設けてまさに空母そのもので米軍も見間違えたようだ。またこの船はウエルドックを備えて大発を発進させることもできたというから今でいう強襲揚陸艦に近かった。実際にあきつ丸は世界初の強襲揚陸艦だった。戦闘機は発進させることはできたが、着艦は出来ず付近の陸上基地に降りるか機体を捨てて塔乗員は落下傘降下することになっていたそうだ。1942年1月に竣工したあきつ丸は蘭印作戦に参加、作戦終了後はラバウル、シンガポール、トラック、スラバヤ、マニラなどに人員や装備、物資などの輸送に従事している。特に海軍の空母機動部隊でさえ連日の空襲を避けて入港しなかったラバウルに3回も輸送のために入港している。この時に米軍に写真撮影されて海軍の特設空母海膺に誤認されている。戦況が悪化するに従い米軍の輸送船団攻撃が激化、輸送船の被害が増加するが、海軍は米軍の主力艦隊攻撃に血道を上げて輸送船団護衛にはあまり熱心ではなかった。そんな海軍に対する不信感からか陸軍はあきつ丸を対潜護衛空母に改装、艦載機を三式連絡機とオートジャイロに変更、これらを対潜哨戒機として運用、爆雷や対潜用迫撃砲、聴音器を装備するなどして門司、釜山航路の対潜哨戒を行った。1944年11月、先月始まったフィリピン決戦で部隊や物資輸送のために艦載機を陸揚げして部隊、兵器、弾薬糧食を満載して海軍特設空母神膺他駆逐艦、海防艦の護衛でマニラを目指したが、あきつ丸は聴音器で対潜警戒を行うもあきつ丸の聴音器は故障がちで対潜警戒は主に目視だったという。そして11月15日正午頃五島列島沖で米潜水艦が発射した2本の魚雷があきつ丸に命中、搭載していた弾薬が誘爆して転覆沈没した。ほとんど轟沈という状況で乗組員、便乗者合計2600名のうち2300名があきつ丸と運命を共にした。一部は護衛艦に救助された。あきつ丸は揚陸強襲艦として誕生、人員物資輸送で太平洋から東南アジアを走り回り、その後陸軍の海軍不信で護衛空母に改装され、対馬海峡の対潜警戒にも活躍したが、最後はその主敵であった潜水艦に止めを刺されて不死身の陸軍空母という数奇な運命に幕を下ろした。合掌、・・(^_^ゞ。