ガダルカナル島への強行輸送で多くの伊号潜水艦を失った海軍は「伊号潜水艦は敵艦船に対する攻撃に当てるので輸送は波号潜水艦を供与するので陸軍でやってもらいたい」と申し入れた。これに対して陸軍は潜水艦輸送の指揮権と乗組員を海軍に取られると考えて「陸軍は独自に潜水艦を建造して輸送を実施する」と海軍に申し入れた。しかし造船所のスケジュールはすべて海軍に抑えられているために民間のボイラー工場などに依頼、設計は困難を極めたが、小型潜水艇の設計者である西村一松氏の指導を仰ぎ、資材は戦車の装甲板を流用するなどして電気溶接で組み上げたブロックをリベットで結合する方式で排水量270トン(水中370トン)、輸送人員40人または物資24トン、速力水上10ノット、水中5ノット、潜航深度100メートル、航続距離1千キロの潜水艦を作り上げた。潜航試験では通常の潜水艦は航行しながら潜舵を使って潜行するが、この潜水艦は静止したまま潜航したので海軍側は「落ちた(沈んだ)」と大騒ぎになったと言う。また航行をコントロールする装置も深度計もなくすべては乗組員の技量にかかっており安全潜航深度を超えてしまったとか海底に衝突したとかいろいろあったようだ。またトイレは通常の潜水艦は汚物を圧搾空気で艦外に放出するのだが、陸軍の潜水艦は汚物をドラム缶に溜めておく方式で艦内は悪臭がひどかったと言う。また艦内は極めて狭く海軍の潜水艦を見学した陸軍側はうらやましがったそうだ。しかしさすがに戦闘行動中に敵機などに発見されるとじっとして潜航と言うわけにもいかないので急速潜航ができるようにしたりプロペラを改修したり内部空間を拡大したりそれなりに改造が行われたようだ。陸軍はこの潜水艦を400隻建造する予定だったようだが、完成したのは38隻だった。完成するとフィリピン、南西諸島、伊豆諸島、小笠原、硫黄島、朝鮮半島などへの輸送任務に従事した。この潜水艦がマニラに入港した際に素人のような操艦でのろのろ進む陸軍潜水艦に在泊中の海軍艦艇から「汝は何者なるや。潜航可能なりや」と問い合わせを受けたとか。陸軍側は「陸軍潜水艦なり。潜航の可否については回答を要しない」と回答があったと言う。また海上で行き違った輸送船は見慣れない潜水艦を敵と誤認して体当たりをして双方が損傷したとか、この潜水艦は修理のために釜山に向かっていたところ輸送船団の護衛艦に敵と間違われて砲撃を受け追跡してくる護衛艦から全速力で逃げるうちに船体の日の丸が見えたためか「汝は何故軍旗を掲げるや」と問い合わせを受け「我陸軍の潜水艦なり」と回答して撃沈を免れたとか。この潜水艦は損傷が激しいことから帰還後に任務を解除されたと言う。また海軍の輸送艦が海上をのろのろ進む小型の潜水艦を敵として攻撃準備をしたが、相手があまりにも小さくのろのろ進むだけで何もしてこないので攻撃を中止して危うく同士討ちを回避したという事例もあったとか。高松宮殿下は「戦時にこんな遊戯のようなことをやっていないで海軍と一緒にやればいいじゃないかと説得したが言うことを聞かない。困ったものだ」と日記に記載しているが、陸軍にしてみれば島に放り出して輸送補給もろくにやってくれないと海軍に対する不信感があったのだろう。こんな陸軍の潜水艦だが、レイテ湾輸送に成功したことがあるそうだ。陸軍潜水艦は3隻でレイテ湾を目指し、1隻は哨戒機と駆逐艦に発見されて撃沈されたが、残る2隻は輸送に成功、米600梱、救急食50梱、バッテリー30梱、大発修理用部品などを陸揚げして大本営陸軍部を狂喜させたと言う。その後2隻はリンガエン湾に移動したが、米軍の攻撃で撃沈されたと言う。陸軍の潜水艦は白昼堂々と日章旗を掲げて浮上航行するとか樹木などで船体を偽装するとか海の常識に外れたことをしたのでそのあまりの非常識さに米軍潜水艦も攻撃を躊躇うなどのこともあったそうだ。しかし建造方式は大量生産に向いている方法で行われ安全潜航深度も100メートルと海軍の潜水艦に劣らなかったようだ。38隻建造された陸軍潜水艦のうち5隻は戦没または事故で失われ残った33隻と未成艦1隻は戦後米軍によって海没処分とされたと言う。改良型のⅡ型は海軍が技術指導を行い波号101型の技術を取り入れ大型化し航行性能、潜航性能も向上したが、完成した艦はなかったそうだ。海軍も陸軍が潜望鏡を発注したことから計画を察知して陰ながら技術支援を行ったと言う。世界で陸軍が潜水艦の建造運用を行ったのは日本陸軍だけだったそうだ、・・(◎_◎;)。

 

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