日本海軍は近接防御火器に25ミリ機銃を使用した。その生産数は3万丁以上、特に米軍の航空戦力が急増した1944年には2万丁を生産している。海軍は近接防御火器として英国ビッカース社の40ミリ機銃や7.7ミリ機銃を使用していたが、威力不足や弾道特性が悪く故障が多いなどの理由でこれらに代わる機銃を求めていたところフランスホチキス社製の25ミリ機銃に着目、これを改良して対空火器として使用した。この機銃は戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦などの戦闘艦艇から輸送船、タンカー、特務艦艇、魚雷艇、監視艇、地上施設の防御火器としてまでありとあらゆる艦艇に搭載、あるいは施設防御に活用された。弾薬の給弾方式は15
発入りの箱形弾倉を差し込んで行い、発射速度は毎分220発程度で初速は900メートル/
毎秒、有効射程は公称4千メートルというが、実際には1500メートル程度だったという。装備方式は単装、連装、3連装で基本は連装だが、戦争後期には3連装と単装が併用された。3連装は重量が架台を含めて3トン近くあり人力で取り回すには問題があったというし、航空機の動きに追従できなかったようだが、艦艇装備の場合は電動で駆動していたようだ。単装は1名で運用出来て航空機の動きにも追従できたようだ。この機銃の欠点は弾倉の装弾数が少ないことと威力不足というが、装弾数はともかく25ミリの大口径機銃で威力不足はあり得ない。有効射程の問題でそう言われたのだろうが、投弾前の敵機には当たらなかったという話もあった。また米軍の航空機に当たっても弾が弾かれたというが、戦車ではあるまいし、航空機にそんなことはあり得ない。有効射程を超えた威力のなくなった弾が弾かれたのだろう。エンガノ岬沖海戦で空母瑞鶴の25ミリ機銃が来襲した米軍機を撃墜した場面が映像で残っている。ただ確かに当たっているのだが、なかなか墜ちないという戦訓は米軍機が予想以上に頑丈だったからだろう。海軍は12.7センチ高角砲とこの25ミリ機銃で対空戦闘を戦ったが、米軍のように間に40ミリ機銃のような中口径機銃を入れた方がよかったかもしれない。しかし当時の日本は機銃のような精密銃器の設計製作は欧米に比べて劣っていて開戦前に適当な機銃を入手しないと間に合わなかっただろうし、仮に中口径機銃があったとしても戦争後半の米軍の怒涛のような航空攻撃には焼け石に水だっただろう。それでも撃つ側はともかく撃たれる側には自分に向かって飛んでくる機銃弾はずいぶん恐ろしかったという。威力の有り無しにかかわらず撃たれる側には「嫌な機銃」だったのだろう。この機銃は陸上でも対空機銃としてだけでなく地上戦にも使われたそうだが、水平に射撃すると米軍の軽装甲車両などは簡単に撃破したそうで米軍に恐れられたそうだ。それを見ても威力不足というのは違うだろう。この機銃には機銃員を守る防弾装置がなく戦闘では機銃員の死傷が多くそのために土嚢、マントレット、防弾板などが弾避けとして有効だったという。この機銃、本家のフランスでは発射速度が遅すぎるとして使用されずルーマニアとスペインに少数が輸出されただけでライセンスを購入して大量に使用したのは日本だけだったという、😁🌀😨🎃😅。