日本の航空機用エンジンは欧米の技術導入で始まった。三菱重工はイスパノスイザ系の液冷エンジン、川崎航空機はBMW系の液冷エンジン、中島は英国のブリストル社製空冷エンジンを手本に開発を進めたが、三菱は出力が増すに従ってトラブルが増加する液冷エンジンを諦めてプラット&ホイットニーの空冷星形エンジンに切り替え、中島も同様にプラット&ホイットニー製を手本に空冷エンジンの開発を進めた。川崎はダイムラーベンツのDB601をライセンスしたが、トラブル続出でうまくいかなかった。三菱は米国のプラット&ホイットニー社製エンジンを手本に金星エンジンを開発、さらに金星をパワーアップした火星、スケールダウンした瑞星などを製作している。中島はプラット&ホイットニー社製エンジンを参考に寿エンジンや零戦、隼など多数の機種に搭載された栄エンジンなどを製作した。これらのエンジンは戦争前期の主力機種に搭載され活躍したが、戦争中期になると連合軍は2千馬力級エンジンを開発してパワーで日本軍戦闘機を圧迫した。日本側も三菱のハ43、中島のハ45(誉)など2千馬力級エンジンを開発したが、三菱のハ43は最後まで試作の域を出ず中島のハ45も日本の技術レベルを超えた高度な工作技術を必要とし、燃料やオイルも高品質のものが必要だったが、日本では技術が追いつかずまた高品質の燃料やオイルも手配できなかった。それに戦時の徴用工による工作技術の低下や粗製乱造が加わって質は低下する一方で製造元の中島でさえ質の低下に打つ手はなかった。結局ハ45を使用した烈風、天雷、連山などの試作機は性能低下ですべて開発中止、実用機の紫電改、疾風、銀河、流星などはエンジンの不調による性能低下、稼働率低下に悩まされた。結局日本が実用化できた最高の戦闘機用エンジンは1500馬力級の三菱の金星(ハ33)、爆撃機用の大型エンジンは三菱の火星(ハ32)で日本では2千馬力級のエンジンは実用化できなかった。このために航空機の更新が追いつかず戦争後期に連合軍が2千馬力級エンジンを搭載した新型機を大量に戦線に投入してきても日本は戦争前期の主力機種である零戦、隼で戦わざるを得なかった。戦争の形勢が傾いてからはさらに背伸びしてレベル以上を目指して形勢の逆転を図ろうとしたことが状況をさらに悪化させた。日本には金星エンジンという安定した傑作エンジンがあったのだからこのエンジンをもっと活用すればよかった。1943年に零戦52型を出した時にエンジンを金星に換装しておけば形勢逆転など夢のまた夢だろうが、もう少し有利に戦えただろうし、飛燕も液冷エンジンに拘らずに早めに金星エンジンに換装しておけば1943年のソロモン、ニューギニア方面で活躍できたかもしれない。エンジンの生産量などの問題もあっただろうが、残念なことをした。強い戦闘機にはいろいろ条件があるだろうが、エンジンのパワーは何より大事だろう。1500馬力級のエンジンでは米国の戦闘機に勝てないというなら技術を米国から導入して燃料やオイルも米国に依存してさらにはエンジン製造の工作機械まで米国から買い入れていた日本には米国にケンカを売る資格などあるはずもなかった。日本の機体設計のレベルは欧米にさほど劣ってはいなかったので高出力エンジンさえ作れていたら戦争の様相は少しは変わったかもしれない。勝てたというわけではなくて局地的に若干有利になったかもしれないという程度だが、・・。エンジンが作れずに痛い目を見たことは戦後のF2戦闘機まで続いている。次期戦闘機開発でIHIがF9という高出力エンジンを試作したが、あれは実用エンジンではなく「こっちだって作ろうと思えば作れるんだぞ」というアピールで実際に実用エンジンを作るにはさらに金と時間が必要だろう。太平洋戦争中に高出力エンジンを作れなかった日本は最後まで開戦前に開発した機体で戦わざるを得なかった。開戦前に非常な努力をして欧米に追いつこうとした日本だったが、追いついたと思った時には欧米はその先に行っていた、😁🌀😨🎃😅。

9月に思うこと

 

 

 

 

 

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