第二次世界大戦前に双発複座戦闘機がもてはやされた時期があった。高速で長距離を飛行でき重武装で他の航空機の誘導もできると言うもので元になったのはドイツのBf110だった。英国ではモスキート、米国ではロッキードP38などが試作され日本でも陸軍はキ45、海軍は13試双発陸上戦闘機の試作を行った。しかし双発大型の戦闘機が単発の戦闘機に格闘戦で勝てるはずもなくBf110はバトルオブブリテンで英国のスピットファイアに完敗、二式複戦も開戦後中国義勇軍のP40などと対戦したがこれも惨敗、海軍の13試双発陸上戦闘機(のちの月光)も単発戦闘機には格闘戦で対抗できないと言うことで戦闘機化は断念して偵察機として使用している。双発戦闘機が生き残るには機体をできるだけ小型化して大馬力を生かした高速重武装の一撃離脱にかけるしかなかったのだが、大型の機体にあれもこれもと装備を積み上げて自滅してしまった。しかし陸軍の二式複戦は地上襲撃機としては優秀で250キロ爆弾2発を搭載してその重武装で地上の目標を掃射するなどそれなりに活躍している。しかしこれらの機体が真価を発揮したのは夜間戦闘機としてB29の迎撃に当たった時でB29が中間高高度で侵入する際には飛行性能が劣っているこれらの機体では迎撃は不可能だが、夜間中高度で侵入してくるB29迎撃には斜め銃を使用してそれなりに効果を上げている。しかし硫黄島が米軍に取られてそこから飛び立つP51がB29に随伴してくるようになると昼間の単独活動は封殺されてしまった。双発の大型戦闘機が生き残る道は大出力を生かした高速機動しかなくこれをうまく活用した英国のモスキートと米国のP38は活躍している。一方日本やドイツの双発戦闘機はその重武装やレーダーを装備した夜間の航法能力を生かして対爆撃機用の夜間戦闘機として活路を見出している。しかし日本の二式複戦や月光などは太平洋戦争開戦前に開発された航空機で戦争中盤以降は新型機にその任を引き継ぐべきではあったが、後継機の開発が進まずに最後まで第一線で活躍し続けた。日本の場合後継機の開発が進まずに開戦前に開発された機体が最後まで主力として戦った最も顕著な例は零戦であるが、他の機種も例外ではなかった。また双発の大型戦闘機に格闘戦で単発戦闘機に勝つと言うのは土台無理な話で格闘能力に拘り過ぎた日本陸海軍の見込み違いであった。