日本陸海軍は太平洋戦争開戦とともに東南アジアから太平洋諸島へと勢力を拡大して行った。当然部隊を派遣すれば補給が必要になるが、日本陸海軍は補給を軽視したと言われている。しかし日本海軍は補給にはかなり努力していた。日本は海に囲まれているので人員物資は海路で移動させることになる。海路であれば当然海軍が主体になって補給を行うことになる。開戦後しばらくは日本が優勢だったので補給は問題なく行われていた。しかし米軍もただ黙って補給させるわけでもなく補給線に対する攻撃は徐々に激しさを増していく。特にガダルカナルの飛行場を巡る攻防戦になると制空制海権を米軍に取られて補給はままならなくなる。海軍は輸送船を送り込むが、米軍の航空機に妨害されて輸送船の損害ばかりが増えていく。また目的地にたどり着いても物資の揚陸に手間取って米軍の攻撃で焼かれてしまう。そこで海軍は物資をドラム缶に詰めて高速でガダルカナル島に接近、夜間にドラム缶を投棄して高速で米軍航空機の行動範囲外に退避するネズミ輸送という作戦を取ったが、駆逐艦では大した量は運べないし流失してしまう物資もあった。また米軍は艦艇で日本海軍の輸送を妨害したことから駆逐艦の損害が拡大して艦隊行動に支障を来すようになり潜水艦輸送に切り替えたが、これも損害が増加したことから大発動艇という上陸用舟艇で島伝いに物資を補給するアリ輸送を行ったが、これも米軍艦艇の妨害行動で思うようにならなかった。陸軍一個師団1万5千人を養うには1日数百トンの武器弾薬、糧食、被服、医薬品が必要と言うが、米軍の妨害を排除して相応の物資を輸送する能力は日本海軍にはなかった。当時の日本陸海軍の攻勢終末点は精一杯甘く見積もってもラバウル辺りだったのだろう。1943年以降ガダルカナル島から撤退するとソロモン諸島方面に残置された日本陸海軍への補給輸送は完全に途絶えてしまった。海軍の物資輸送能力に疑問を持った陸軍は自力で輸送船や小型空母、潜水艦を装備して自力輸送を試みたが、派遣軍に対する補給どころか戦略物資の国内への輸送もままならない状況ではどうにもならなかった。1944年の後半以降は船を出せば撃沈されるで現地に到着するのは武器弾薬や糧食を失った裸の兵隊ばかりだった。日本陸海軍は補給を軽視していたという見方もあるが、陸軍には「糧は敵に求めろ」などと補給を軽視する面もあったが、それなりに努力はしていた。しかし日増しに開いて行く日米の戦力差は如何ともし難く兵站補給は途絶してしまった。1944年以降になると連合艦隊への補給も思うようにならなかったという。また海軍と陸軍では物資の量や質に大きな差があって問題になったりもしたという。海外に派遣された日本陸海軍は補給が途絶して物資の不足に苦しんだが、補給を軽視したと言うよりは物資を補給したくても米軍に制空制海権を取られてできなかったというのが事実だろう、🎃🙅🎃😅。