日本海軍のレーダーはずいぶん遅れていたように言われる。出だしは「軍艦に花魁の簪みたいなものを付けて電波を出すなどとんでもない」と言って見向きもせず陸軍の方が積極的であったが、英国などのレーダー活用情報に刺激されてレーダーの研究、開発を始めた。その後、開戦を過ぎて昭和17年になって戦艦伊勢に2号1型対空見張レーダーが、日向に2号2型水上見張りレーダーが試験的に装備されたが、日向の2号2型水上見張りレーダーはミッドウェー海戦時に悪天候の中、敗戦で混乱する艦隊を見事に統制して円滑に撤退させたと言う。しかし当時のレーダーは雨で電波が反射して探知できなくなるなど精度に問題があった。また当時の日本は強力な大出力のマグネトロンが作れず正確な探知に必須の極超短波レーダーが作れなかった。一方米国は当時レーダー技術の最先端を行っていた英国からの技術供与でレーダーを開発していた。当時の米軍のレーダーと日本海軍のレーダーでは天と地ほども開きがあったように言われるが、確かに探知の正確性や機械の信頼性は米軍のレーダーが上だったが、米軍のレーダー射撃もそうそうビシビシ当たったわけでもないようだ。サボ島沖海戦では初弾が重巡青葉の艦橋に命中したりもしたが、スリガオ海戦では米軍の大口径砲の命中率は1%以下などと言う話もある。何より戦艦山城、扶桑は魚雷命中で炎上していたのでレーダー射撃も何もなかったようだ。戦艦山城、扶桑を撃沈したのは駆逐艦と魚雷艇の魚雷だったそうだ。また日本海軍もレーダーの改良を続け、戦争後半には光学測距より正確に探知できるまでになっていたそうだ。またレーダー射撃についてもレーダーと光学測距を併用することでかなり精度を上げて実用の域に達していたと言う。実際にレーダー射撃で命中弾を出したこともあったと言う。ただ米軍はレーダーと原始的なコンピューターを組み合わせた射撃指揮装置を配備していたそうだからやはり米軍の方が先を行っていたようだ。しかし日本海軍のレーダーは目標を単体として捉えることができないなどと言うが、実際には大型艦なら距離2万メートル前後で、航空機でもB29などの大型機なら100キロほどで単体として捉えることができたそうだ。また戦争末期には海防艦や駆潜艇などの小型艦を含めてほとんど全ての艦艇に対空、対水上レーダーが装備されていた。当時の日本の電子技術もそうそうバカにしたものでもないようだ。レーダーについては戦後に捕鯨船団が出漁する際に連合軍の監督官が同乗することになっていたが、連合軍の監督官はレーダーが装備されていない捕鯨母船に乗り組むことを嫌がったそうだ。しかし敗戦国の日本にレーダーを開発させるわけにもいかず困っていたところ軍艦から外した2号2型水上レーダーが大量に保管されていることに目をつけ旧海軍の技術士官やメーカーの技術者を召集して整備して取り付けたところこれが大活躍で連合国軍の占領期間中捕鯨母船で使用されたと言う。日本海軍のレーダーはマグネトロンの出力や真空管の信頼性や耐久性など問題がなかったわけではないが、それなりの性能を持っていたのは事実で使い物にならないなどと言うことはなかったようだ、\(^_^)/🙆🆗😁🌀🎃😅。