日本陸軍は昭和5年に89式戦車として初めての国産戦車を採用した。この戦車は短砲身57ミリ砲を装備したが、トーチカや機銃陣地の破壊用で対戦車戦闘能力はなかった。装甲も厚いところで17ミリ程度で小銃弾で貫通することもあったそうだ。次は95式軽戦車でこの戦車は37ミリ対戦車砲を装備していたが、貫徹力が低く装甲も12ミリ程度で防御力も弱かったが、快速で故障も少なかったと言う。次は97式中戦車でこの戦車は新式の優れた戦車だったが、武装は89式と同様の57ミリ短砲身砲で後に47ミリ速射砲に換装された。これらの戦車は装甲がリベット止めされていて被弾するとリベットが飛び散って車内の乗員を殺傷したというが、当時の日本には厚板を溶接する技術がなかった。次は一式中戦車でこの戦車は97式の車体及び砲塔前面の装甲を50ミリに増厚して車体と砲塔を溶接して組み立てた。車体強度はかなり上がったが、火力は97式と変わらなかった。一式の47ミリ速射砲では米軍のM4戦車を撃破できないことから一式の車体に新砲塔を載せて75ミリ野砲を装備したのが三式中戦車でこの戦車砲であれば米軍のM4戦車を500メートルの距離から正面装甲を貫通することが可能だったが、原型が野砲のため射撃手が引き金を持たず車長がりゅう縄を引いて発射するなど射撃に問題があった。最後は四式、五式中戦車だが、四式は75ミリの装甲とスウェーデン製75ミリ高射砲を改修した75ミリ戦車砲を装備した対戦車戦闘用の戦車だった。五式は四式を大型化して37ミリ速射砲を副砲として装備したが、主砲は四式と同じだった。一式、三式は米軍が制海権を取っていたため外地に持ち出すことが出来ず本土決戦用として本土に置かれた。四式、五式は試作として数両が製作されたのみだった。日本の戦車は装甲、火力ともに米軍の戦車に著しく劣っていて待ち伏せや側面、後面攻撃で撃破したこともあるが、ほとんど一方的に撃破された。また生産数も桁違いに少なく移動もインフラが整備されておらず大型の重い戦車を作ることが出来なかった。また溶接、鋳造技術が遅れていて車体や砲塔の一体鋳造が出来ず、砲も高初速大口径砲が製造出来ず、冶金技術の遅れから硬度の高い砲弾が製造出来ず、米軍戦車の装甲を貫通することが出来なかった。また生産力も大きく劣っていて米国はM4中戦車を5万両も製造したが、日本は89式から三式まで合わせて5千両程度だった。日本は技術も遅れていて軍を機械化装甲化するための予算もなかった。人員を減らして軍の機械化装甲化を推進しようという意見もあったが、組織が縮小するとポストが減って出世が遅れると反対する勢力が多かった。日本の戦車は装甲、火力ともに弱く数も少なかったことから最後は車体を埋めて砲塔だけを出して火力拠点として使用されたりした。日本陸軍の戦車兵は非常に優秀で完璧な偽装をして待ち伏せて米軍戦車を撃破したりハッチの蝶番を狙って射撃して撃破したりしている。せめて米軍戦車の装甲を正面から撃ち抜ける砲を装備した戦車を与えればむざむざ負け続けることはなかっただろうと言うが、技術や予算の問題でかなわなかった、😁🌀😨🎃😅。

8月に思うこと

 

 

 

 

 

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