日本海軍は進攻してくる米海軍艦隊と劣勢で艦隊決戦を行って勝利するために様々な方法を検討して実施した。軽快艦艇による雷撃、潜水艦による雷撃、そして航空機による雷撃である。そのために駆逐艦には次発を含めて16本から18本の魚雷を搭載、潜水艦は水上航行能力を向上させて艦隊に随伴させ航空機には魚雷を搭載して長距離を飛行できるものを開発した。12試陸上攻撃機、後の一式陸上攻撃機がそれである。この攻撃機は魚雷を搭載して4千キロ以上を飛行することができたが、防弾は一切考慮されていなかった。海軍は縁起を飛行して米艦隊を攻撃できることを最優先していて長期戦を考えてはいなかったことが防御を省いた理由と思われる。一式陸攻は開戦後フィリピンのクラーク飛行場爆撃、英戦艦プリンスオブウェールズ、レパルス撃沈など戦果を挙げた。日本側が優勢なうちは被害は少なかったが、米軍の戦力が増すに従って被害が増加している。特に艦船攻撃で大きな被害を出しているが、元来この手の大型機を艦船攻撃に使用すること自体が暴挙でさらには戦闘機の護衛もなしでは被害が出るのは当然である。一方でガタルカナル島の米軍飛行の高高度爆撃ではさほどの損害はなかったという。基本的には大型機による昼間爆撃は日本ばかりでなく英米独も大きな損害を出している。しかし防弾皆無というのはやはり問題があり海軍も一式陸攻の防弾装備に意を用いるようになった。しかし米軍との戦力差が拡大するに従ってなまじの防弾装備など役に立たず被害は増加していった。戦後はこの機体を「ワンショットライター」などと揶揄するが、ガソリンにしてもごま油にしても油は気化して空気と混合しないと発火しない。だから弾が当たれば何でもかんでも発火したわけではない。しかしこの防弾装備の欠如が熟練搭乗員を失う原因になったことは間違いない。戦闘機であれば積極的に被弾を避けることも可能だが、爆撃機のように撃たれることが前提の機体には防弾装備は不可欠だっただろう。撃たれ弱いと言われながら一式陸攻は2400機以上も作られて海軍の攻撃の中核として奮戦した。山本連合艦隊司令長官を乗せて撃墜されたのもこの機体だった。戦争末期桜花を搭載して出撃して全機撃墜されたのもこの機体だった。最後の34型は翼の構造を一新して航続距離を捨てて燃料タンクに防弾を施したが、すでに手遅れで混乱した生産の現場では少数機を作るのが精一杯だった。三菱は試作の指示を受けた際に金星エンジン4発の機体を提案したが、海軍に却下された。海軍は艦隊決戦に勝利するために遠距離を飛行して雷撃ができる機体を必要とした。一式陸攻が4発機になっていたら雷撃ではなく爆撃主体の全く違う機体になっていただろう。撃たれ弱いと言われながら最後まで海軍の攻撃機の主力で被害も多かったが、海軍切ってのポイントゲッターでもあった、\(^_^)/😁🌀🎃😅。

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