日本海軍は米海軍との艦隊決戦で進攻してくる米艦隊を航空機、潜水艦、軽快艦艇による魚雷攻撃で戦力を減殺するために長射程、高速魚雷の開発に邁進した。第一次大戦後の魚雷は燃料と圧縮空気でエンジンを駆動する内燃機関型と電池とモーターで走行する電気モーター型に分けられる。熱走機関式は高速かつ長射程だが、排気による航跡が明瞭で電気モーター式は航跡はないが、速力、射程ともに落ちる。それぞれ一長一短があった。熱走式魚雷の圧縮空気を純酸素にすれば排気ガスは炭酸ガスと水蒸気のみでどちらも水に溶けるので航跡が目立たない。また出力も大きくなり魚雷の速度も上がり長射程を実現できるということで日本海軍は開発に取り組んだ。しかし酸素は非常に不安定で起動時などに爆発しやすくいという技術的問題点があった。日本海軍はこれをエンジンの始動時には空気と酸素を混合したものを使用し、徐々に純粋な酸素に切り替えていくという方法で解決している。こうして酸素魚雷を実用化した日本海軍だが、魚雷と言うのは燃料タンクにエンジン、そして魚雷が一定の深度でまっすぐに走るようにジャイロや舵などを備える精密機械で常に整備点検を必要とした。現代で言えば長距離対艦ミサイルのようなものである。酸素魚雷は長射程、高雷速、大炸薬量の魚雷だったが、その分扱いが難しく手がかかった。魚雷は艦砲と違い目標を二次元で戦で捉えるので三次元を飛んで点を捉える艦砲よりはずっと命中率がいいと言うが、射程2万メートルだの4万メートルだのと言うと魚雷の速度が60キロだの70キロと言っても20分から40分ほどもかかる。その間目標が同進路同速で走っていてくれればいいが、戦闘状態であればそのようなことはまずあり得ない。そうなると命中精度が落ちることから日本海軍は多数の航空機あるいは軽快艦艇による多数射線による魚雷攻撃を計画、軽巡洋艦に片舷20射線、両舷で40射線などという魚雷発射管を備えた重雷装巡洋艦などを作り出している。こうして日本海軍は艦艇用、航空機用、潜水艦用など様々な酸素魚雷を制作しているが、航空機用は酸素魚雷のメリットが少ないことから通常魚雷に切り替えられている。日本の酸素魚雷はジャイロの作動不安定で魚雷が迷走したこともあるし敵に向かって発射した魚雷が命中せずに遠方の射線上にいた味方輸送船団の船舶に命中して輸送船が沈没するなどの被害を出したこともある。また戦争前半期には米重巡を撃沈したりあるいは空母、駆逐艦を撃沈したり、戦艦を撃破したりと戦果を挙げているが、米国の航空優勢が確立してくると魚雷の使用できる場面が限られ、また搭載している魚雷が被弾で誘爆したりして被害を拡大している。日本の酸素魚雷は無誘導だったために長距離での命中率は極めて低かった。射距離1万メートルで使用した魚雷188本のうち命中したのは4本と命中率が極めて低くかった。52ノットで目標まで5千メートルで発射しても命中まで3分ほどもかかるためその間敵艦が変針増速した場合は命中率は極めて低くなるので長射程の利点はないと言ってもいい。そんなわけで魚雷は短射程、大弾頭化に進んで行く。そして行き着いた先は使う場面がなくなって大量に余った酸素魚雷を改造した人間魚雷「回天」だった。無誘導で命中率の悪い魚雷を人間が操縦して確実に目標に命中させる。すべての物資が欠乏していく戦争末期に最も豊富な物資は人間だった。その人間を誘導装置にして兵器に組み込むと言う悪魔の思考が頭をもたげ、軍隊と言う命令機構の中で「お前が誘導装置になって敵を間違いなく仕留めろ」と命令するようになる前に戦争を止めるべきだった。日本海軍は優勢な米海軍を破るために世界中どこの国も採用しなかった純酸素を使った高速長射程、大威力の魚雷を開発した。しかしその命中精度の低さを埋め合わせる誘導技術を持たなかった日本海軍はその誘導装置に人間を使うことを思いついた。ごく限られた特殊な状況で体当たりと言う戦法は米軍も行っている。極限的な状況で「せめて敵に一太刀」は武人の自然な心理かもしれない。しかし軍と言う組織の中で命令としてそれが行われることだけは避けるべきだっただろう。「『死んで来い」、それはもう命令の限界を超えている」と言った司令官がいたそうだが、まさにその通りである。

 

                      8月に思うこと

 

 

 

 

 

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