太平洋戦争以前、日本海軍は艦隊に随伴して行動可能な大型潜水艦の開発に力を入れた。これは艦隊決戦前に米海軍の艦隊を攻撃して主力艦を減らすためだった。訓練では日本の潜水艦は艦隊の中まで侵入して主力艦を撃沈する戦果を度々挙げていた。そのため海軍は潜水艦に大きな期待を寄せていた。ところがいざ戦争になると日本の潜水艦は全く奮わなかった。ハワイ作戦の際はパールハーバー監視のために配置された日本海軍の潜水艦は米海軍の駆逐艦に頭を押さえられて逃げ回るのが精一杯で監視どころではなかった。それ以降も日本海軍の潜水艦は期待された活躍はしなかった。これは一つには潜水艦の用法に問題があったことに起因する。潜水艦の最大の武器は隠密性でどこにいるか分からないうちに攻撃してくるのが最大の強みだった。ところが日本海軍は潜水艦を哨戒線に張りつけたり米海軍の泊地に侵入して攻撃させるような作戦ばかりを立案して潜水艦の隠密性を奪っていた。戦況がひっ迫してくると離島への潜水艦による物資輸送なども行われ、これも潜水艦を失う原因になった。もう1つは日本海軍の潜水艦探知能力と潜水艦の防音防振対策だった。潜水艦を探知するには聴音器という音を探知する器械を使用するが、日本の聴音器は精度、信頼性が低く「大体この辺に潜水艦がいるらしい」と言う程度で米海軍のようにピンポイントで潜水艦を見つけることが出来なかった。また潜水艦の防音、防振についても不十分で戦争中ドイツに派遣した潜水艦をドイツのエンジニアが見て「よくここまで来れたものだ。これでは大西洋を太鼓を叩きながら渡って来たようなものだ」と呆れ、日本の潜水艦に防音、防振工事を施してくれたと言う。ドイツと英海軍は潜水艦戦を巡って互いにしのぎを削るような戦闘を繰り広げていた。また米海軍は狩猟民族の執念深さを発揮して潜水艦を完全に撃沈するまで2日でも3日でも交代で追撃したと言う。その点で日本海軍は淡白でちょっと油などが浮いてくると撃沈したとして攻撃を止めたそうだ。毎月15隻くらいの米海軍潜水艦を撃沈したという報告が上がってきたが、戦後実際に撃沈した米海軍潜水艦は52隻と聞いて対潜戦を指揮していた幹部は愕然としたそうだ。日本海軍は米海軍の艦隊泊地であるウルシー環礁を潜水艦で攻撃したが、出撃した潜水艦はすべて撃沈されている。戦争末期になって潜水艦や小型艦艇しかなくなった日本海軍は米国から沖縄に至る長大な補給線を特攻兵器の回天を搭載した潜水艦に自由攻撃させて大きな戦果を挙げた。この戦果にについて米国はすべてを公表はしていない。大本営発表は日本だけの話ではなかったようだ。ほとんど護衛なしに自由航行していた米海軍の輸送船は攻撃に無警戒で被害を拡大した。潜水艦側は「自由にやらせてくれれば戦果を挙げられるんだ」と胸を張ったと言う。いずれにしても日本海軍の潜水艦は150隻程あったが、その大部分が撃沈された。その原因は潜水艦の用法や作戦のまずさとともに米軍側の潜水艦探知・攻撃方法が日本側をはるかに上回っていたこと、日本側の防音、防振技術が劣っていたことなど日本の技術が劣っていたことが原因である。兵器の用法とともに技術と言うものは戦時でも平時でも物事の結果に大きな影響を与える。地道な技術開発はもちろんのこと相手の技術レベルを把握しておくことは重要なことである。それを怠り潜水艦の用法まで間違えた日本海軍が潜水艦戦で大きな戦果を挙げられなかったのは当然だが、そうした誤りで犠牲となった潜水艦乗組員が気の毒である。

8月に思うこと

 

 

 

 

 

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