日本陸軍には五式戦闘機あるいはキ100と言う機体があった。しかしこの呼称は制式なものではないと言う。また疾風や隼と言った愛称もない。この機体は三式戦闘機飛燕の水冷エンジンを空冷エンジンに換装した機体だった。三式戦闘機のエンジンはドイツのDB601水冷エンジンをライセンス生産したものだが、日本の生産技術力を超えたエンジンで水冷エンジンの取扱いの不慣れと合わせて故障が頻繁したエンジンだった。このエンジンをさらにパワーアップしたハ140と言うエンジンはさらに難物で飛燕1型を改良した2型改はエンジンの装備されていないいわゆる首なしの機体が300機ほども工場に溜まってしまっていた。戦況が逼迫する中で1機でも戦闘機を必要とする陸軍は飛燕2型改の機体に安定した性能で定評のある三菱のハ112Ⅱを装備するよう川崎に指示した。水冷エンジンに合わせて作った細い機体に直径の大きい空冷エンジンを装備するとエンジンと機体に段差が出来てそれが抵抗になるが、川崎はその段差にフィレットをかぶせてそこに単排気管を並べて乱れた空気の流れを吹き飛ばすようにして解決した。完成した機体は速力こそ低下したが、冷却系がなくなったことで300キロの軽量化が出来て上昇力、運動性が向上した。すでに300機以上の機体が完成していたことから五式戦の生産は順調に進み戦争末期の貴重な戦力となって米軍機と戦った。頑丈な機体で運動性が良く降下速度に優れる五式戦は米軍機と互角の戦闘が出来て「五式戦ならどんな敵機と戦っても絶対不敗」と言うパイロットもいた。これは当時の陸軍戦闘機のうち一式戦は古すぎる、二式単戦は数が少ない、三式戦、四式戦はまともに飛ばないで燃料とオイルを入れればカタログ通りの性能を発揮する五式戦が好まれたのは当然だった。1930年に作られて発展してきた完成度の高い安定した金星エンジンと開戦前に作られた頑丈な機体は技術的に新しさはなかったが、きちんと確実にその性能を発揮した。五式戦は急場の間に合わせ的な戦闘機だったが、故障せずに確実に稼働するという兵器として最も重要な性能を発揮した。戦後この機体を調査した英国は「技術的に見るべきものはないが、その時最善のものの組み合わせが、良い結果を生むことがある」と素っ気ない言い方だが、的を得た評価をしている。日本陸軍最後の機体が特攻機などではなく良くできた性能の良い戦闘機だったことは一抹の救いのようにも思う、😁🌀🎃😅。

8月に思うこと

 

 

 

 

 

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