紫電改は川西航空機(現新明和工業)が開発した局地戦闘機でその原型は水上戦闘機強風である。昭和15年に開発が始まった水上戦闘機「強風」は水上機としては性能は良かったが、当時はすでに水上機では陸上機に対抗できなくなっており川西としても水上機ばかりでは先々発注が減少してしまうことから強風を陸上戦闘機に改造することを計画した。強風の火星エンジンを2千馬力級の誉に換装してフロートを撤去したが、改造範囲を小さくするために翼を中翼のままとしたことから脚が長くなりそれを翼内に収めるために2段伸縮脚としたが、この脚の油圧作動が不安定で紫電のアキレス腱となった。また中翼のために前下方の視界が悪いと不評を買った。さらにエンジンが直径の小さい誉になったが、胴体は強風の時の太いままだったことから無駄が多い機体だった。完成した機体は計算上では最高速は650キロ以上出るはずだったが、誉エンジンの不調と川西の機体表面工作の粗雑さなどで最高速は574キロ程度だった。それでも旧式化した零戦だけで戦っていた海軍には2千馬力級エンジンを装備して20ミリ機銃4門を備えた紫電は期待の新鋭機だった。川西ではさらに紫電の機体を根本的に改造してその欠点を解消するために主翼の低翼化と胴体のスリム化を中心に改造を進め、主翼以外はほとんど別機と言うほどの改造を行い、紫電の欠点を改良して昭和18年末に紫電改の試作1号機が完成した。完成した機体は燃料タンクの防弾や操縦席前面に防弾ガラスを入れ、急降下速度も高く速力も紫電よりも向上した制空にも迎撃にも使えるマルチロールファイターと言うべき機体になった。また低翼化したことで脚も短くなり紫電の弱点が解消されていた。昭和19年中に試験飛行が進められるとともに機体の生産も開始され、昭和20年1月に紫電21型として正式採用された。試験飛行中には時速630キロを記録している。紫電改はその大部分が343航空隊に集中配備されて戦争末期に西日本の防空を担って立ち米軍の艦載機や陸軍機と激戦を繰り広げた。その戦果については様々異論があるが、最後まで部隊として防空や特攻隊の援護、B29迎撃に活躍して米軍もこの部隊を警戒していた。343航空隊は当時の海軍の精鋭を集めたと言うが、熟練パイロットは一握りであとは未熟な若年パイロットが多かったと言う。それでも最後まで部隊として活動して常に数倍の敵機と戦ってこれに痛撃を与え続けたことは称賛に値する。紫電改と言う機体は陸軍の疾風よりも少し翼面荷重が小さくて運動性がいいが、速度は若干劣る機体で両者を比較した場合、戦闘機を作り慣れている中島の機体である疾風の方が洗練されているかもしれない。ただ両機にとって最大のアキレスの腱は装備している誉(ハ45)エンジンでこのエンジンの不調には装備したすべての機体が悩まされている。仮に誉が安定した性能を出すことが出来てこのエンジンに同様に作動良好な過給機が装備されていたらB29にも痛撃を加えられただろう。戦後の米国の評価でも速度も火力も第一級の戦闘機だったが、高空性能は不足していたと記載されていたという。戦争末期の混乱期で400機ばかりしか生産されなかった紫電改が戦局に与えた影響は大きなものではなかったが、それでも崩壊していく帝国の最後の守りとして奮戦した紫電改は日本海軍最後の希望で艦載機型やエンジンを三菱のハ43に換装した型など多くの改造型が製造される予定だった。そうした点でも烈風の試作に失敗した海軍にとって紫電改は組織保全のために負けると分かっている対米戦を始めて支えるべき母国もそして何より守りたかった海軍そのものも守ることができずに崩壊していった日本海軍の最後の希望の星であった。

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