烈風は零戦の後継機として昭和17年に海軍から三菱重工に試作が指示された艦上戦闘機、つまり海軍戦闘機の正統派の機体であった。零戦は12試艦上戦闘機でその後5年が過ぎているが、16試艦上戦闘機として艦上戦闘機を試作できないか海軍から内示があった。しかし当時は小型高出力のエンジンが実用化されていなかったことや三菱の設計陣が零戦の改良や局地戦闘機雷電の試作で多忙を極めていたことから一旦中止となり昭和17年になって17試艦上戦闘機として試作が内示された。要求された性能は高度6000メートルで345ノット(約638キロ)、高度6000メートルまでの上昇にかかる時間は6分以内、武装20ミリ機銃2、13ミリ機銃2、空戦性能は零戦に劣らないことなどであった。この新型艦上戦闘機の開発に際しては速度を優先するか、空戦性能を優先するかと言う議論があった。そして海軍は空戦性能を優先することと決定した。航空機の性能を決定づけるのはエンジンであるが、海軍側はすでに審査に合格している中島が開発した栄エンジンを18気筒化した誉を推し、三菱側は自社で開発中の金星を18気筒化したハ43の搭載を希望した。ハ43は誉よりも排気量が大きく出力も10%ほど大きかった。しかし海軍はすでに審査に合格している誉の搭載を指示し、さらには翼面荷重を150キロ/㎡から130キロ/㎡に抑えるよう要求してきた。三菱側は搭載エンジンが誉では翼面荷重を130キロ/㎡に抑えた場合、馬力不足で速度の要求を満たせないが、ハ43であれば何とか要求を満たせると申し立てたが、ハ43の開発が遅れていたことからハ43を使用すると17試艦戦の実用化が遅れることになるとして誉搭載を指示してきた。そして実用機の生産や改修で多忙を極める三菱の事情もあって試作機の製造は遅れて試作開始から2年後の昭和19年4月に試作機が完成したが、その性能は惨憺たるもので飛行特性には問題はなかったが、速度は高度6000メートルで300ノット(555キロ)程度、上昇力は6000メートルまで10分と零戦にも劣る始末だった。これに対し海軍側は機体の工作不良などを指摘して改良するように指示してきたが、性能不足は誉エンジンの出力不足に起因することは明らかだった。誉エンジンは小型軽量で2000馬力を発揮する画期的なエンジンだったが、当時の日本の工業生産技術を超える部分がありすべてが完全な状態で運転すれば高性能を発揮できたが、戦時中の大量生産では不具合が多くカタログ上の性能を発揮できていなかった。三菱側のテストでは第2公称馬力は保証値を25%も下回っていることが判明した。誉エンジンは中島が海軍の指示を受けて開発中だった双発戦闘機天雷にも搭載されていたが、エンジンの出力不足が甚だしく所期の性能が達成できなかったが、エンジン製造元の中島でさえ粗製乱造による品質低下をどうすることもできなかった。三菱側はエンジンをㇵ43に換装することを希望したが、海軍はエンジンの換装は三菱自身の責任でやることとして烈風は次期艦戦として見込みなしとして開発を打ち切り三菱に紫電改の量産を行うよう指示した。三菱側は試作機のエンジンを自社製のハ43に換装したA7M2を昭和19年10月に完成させて試験飛行を実施したところ所期の海軍の要求を概ね満たす高性能を発揮し、同機の試験飛行を行った海軍側パイロットも「各種の性能に優れる傑作機で世界最高性能の艦戦、操縦も容易で未熟搭乗員にも扱いやすいので速やかに完成させるべき」とベタ褒めの評価だった。ある海軍関係者は「烈風2千機あれば戦局の挽回も可能」とまで言ったそうだ。しかし試験飛行終了後の東南海地震や戦局の悪化、B29による爆撃被害などでハ43エンジンの生産も遅延、烈風の生産は遅々として進まず、終戦までに試作機7機と量産第1号機が完成したに止まり零戦の後継機烈風は幻の傑作機として歴史の中に消えて行った。実際に烈風が実用化されたとしても昭和20年当時にこの程度の性能ではF6Fには有利に戦えたかもしれないが、その後に出現するF8Fには及ばなかっただろうし、P47やP51と言った陸軍機にも及ばなかっただろう。烈風をダメにした最大の原因は30.86㎡というそのバカでかい主翼でこれは機体の両側に床の間付きの9畳の部屋をくっつけているような大きさである。重量が25%も重いグラマンF6Fの主翼とほぼ同じ大きさで模型を見てもそのバカでかい主翼が目を引く。もしも翼面荷重を170キロ、あるいは180キロほどに取っていれば翼面積は25から26平米に収まりその分重量も抵抗も減少して速度も上昇力も向上しただろう。また額面通りの出力を安定して発揮できるエンジンがあったらその性能はさらに増しただろう。結局烈風を駄作に貶めたのは当時の日本の技術力と格闘戦に凝り固まった海軍の戦闘機に対する思考だろう。F15の開発当時戦闘機の格闘性能について議論が高まった時期があったが、あるパイロットだか技術者だかが、「くるくる回れることがそんなに重要ならズリン526(曲技機)が世界最強戦闘機になってしまう」と言ったそうだが、全くその通りではある。戦争末期に海軍が期待をかけた紫電改の翼面荷重が170キロで艦上機型も試作されて空母信濃で発着艦試験が行われ問題はなかったと言うので烈風の翼面荷重もその程度にしておけばそれなりの性能を発揮して戦争に間に合ったかもしれない。しかし烈風が2千機あれば戦局をひっくり返せるなどと言うことは夢もまた夢だっただろうことは間違いない。

                     8月に思うこと

 

 

 

 

 

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