陸海軍の航空機の防弾装備はどうなっていたかと言うと太平洋戦争開戦以前に試作された海軍機は防弾を全く考慮されてはいなかった。戦闘機はもちろん爆撃機にも防弾装備はほとんどなかった。ゼロ戦、99式艦爆、97式艦攻、96式陸攻、1式陸攻、どの機体も防弾装備はなかった。陸軍の機体には微弱ながら防弾装備が考慮されていた。これはノモンハン事変の戦訓や欧米の情勢分析の結果であるとともに近接支援を主とする陸軍機の特性を考慮したものだろう。一方の海軍機に防弾装備がなかったのは海軍が長期戦を戦うつもりがなかったことに加えて艦隊決戦の前に優勢な米海軍の主力艦を1隻でも多く撃沈することに主眼を置いていたので防弾装備を捨てても長距離を飛べることを重視したのだろう。そして艦隊決戦の前にたとえ陸攻の1個飛行隊が全滅しても米主力艦1隻と刺し違えればそれで引き合うと考えたのだろう。戦争が順調に進んでいるときは防弾装備のないことはさほど大問題にはならなかったが、米軍の反攻が本格化してくると航空機の損耗が大きくなり後期の機体にはそれなりの防弾装備が施されたが、その時には多少の防弾装備など意味もないほど米国の攻撃力は巨大になっていた。ただ後期の紫電改や四式戦などは被弾しても燃え難い戦闘機と言う評価をえてはいる。陸軍の一式戦は1939年の試作段階から7.7mm弾対応のセルフシーリング式防弾タンクを装備し、その後の改良型の二型では燃料タンクの容量減と引き換えに耐弾防火性に優れ12.7mm弾対応の新型防弾タンクに換装、それに加えて二型は途中から操縦者の頭部と上半身を保護するための防弾鋼板を追加装備していたそうだ。後継主力戦闘機である四式戦では新型防弾タンク・13mm厚防弾鋼板に加え風防前面に70mm厚防弾ガラスを追加し撃たれ強い機体となっている。これら防弾装備が考慮されていた陸軍機でも同世代欧米機の装備(防弾タンクは効果に最も優れる内装式、防弾鋼板は操縦席後部に限らず前部等にも取付、前後の防弾ガラス等)には劣っていたが、防弾タンク・防弾鋼板と合わせて一定の効果が発揮されたそうだ。これは米英の機体はエンジンの馬力が大きく重量に余裕があったことと防弾材の材質に優れたものを開発できたことなどの理由がある。海軍機も後期の機体には防弾装備がなされていたが、操縦席後方の防弾は雷電など一部の機体に止まったようで防弾に関しても陸軍が進んでいたようだ。それでも後期の紫電改などは零戦の弱点であった防弾装備について主翼や胴体内に搭載された燃料タンクは全て外装式防漏タンクであり更に自動消火装置を装備して改善された。米軍の調査によると燃料タンクにセルフシーリング機能は無かったと言うが、2007年(平成19年)にオハイオ州デイトンにおいて復元のため分解された紫電二一型甲(5312号機)の燃料タンク外側に防弾ゴムと金属網、炭酸ガス噴射式自動消火装置が確認できたそうだ。南予リクレーションセンターに展示されている紫電改の燃料タンクもゴムと金網に覆われた外装式防弾タンクになっている。操縦席前方の防弾ガラスは装備されていたが、操縦席後方の防弾板は計画のみで実際には未装備だったそうだ。後部には厚さ10cmくらいの木の板しかなく後方に不安を抱えていたという。そうして海軍機も防弾装備を行ったが、圧倒的な米軍の戦力の前には防弾装備だけでなく日本の戦力自体が焼け石に水状態だった。国力、生産力の圧倒的な差はいかんともし難かった、・・(◎_◎;)。