太平洋戦争当時の日本陸軍は火力、機動力、装甲防御力とも米国陸軍に大きく劣っていた、(○_○)!!。火力は米国陸軍師団と日本陸軍師団を比較すると1/3程度、移動も徒歩が基本、物資の輸送は39式輜重車という二輪の荷車を使用していたというから戦国時代と変わらない。火砲の射程も短く軽量化のために構造が華奢なため連続射撃をすると制退機が壊れるなど故障が頻発したという、(○_○)!!😱😁🌀。機関銃も故障が多く分解整備が欠かせなかったようだ、(○_○)!!😱😁🌀。戦車も輸送インフラや予算などの問題で小型で装甲が薄く、また火砲も高性能なものが開発出来ず、欧米の戦車に比べると性能が劣っていたし、数も少なかった。米国はM4という戦後の自衛隊も使用した重量30トンの中戦車を5万両生産したが、日本は重量17トンほどの97式中戦車を2千両強しか作れなかったし、この戦車では米国のM4には全く対抗できなかった、(○_○)!!😱😨。当時の日本陸軍は人の力が基本で十分な機械力や火力を備えていなかった、(○_○)!!😱😁🌀。また兵站補給力も低く「糧を敵に求める」と言って戦いに勝って敵から分取ることが奨励されたが、ソロモン諸島方面には敵はいたが、押され続けて物資を分取るどころではなく生きるに精一杯だったし、それさえ叶わず多数の餓死者を出した。弾薬類の備蓄も不十分でそれを補うために白兵突撃を決戦戦法としたが、米軍は日本陸軍の突撃に弾幕を以て対抗したので日本軍はその度に大きな損害を受けた。装備、火力、機械力、補給で劣っていた日本陸軍だが、守りに回った時は極めて頑強に抵抗して米軍を震え上がらせたことも一度や二度ではなかった。これは日本人の生真面目さや我慢強さにくわえて水田耕作で土地とともに生きてきた日本人が自らの土地に執着するという日本人の特性だろうか。関西の部隊は攻めるに強く東北の部隊は守りに強かったそうだ。各国で武器に性能差があるのは仕方ないが、部隊を派遣したら武器弾薬、食糧、医薬品、衣類などは最低補給してやるべきだろう。日本陸海軍も補給を試みはしたが、米軍に妨害されて目的を遂げることができなかった。地球の1/4に広がった戦線を支えるには当時の日本の国力はあまりにも微弱に過ぎた。