「でも、・・」

 

社長はコーヒーを一口飲むとちょっと言葉を切って考え込むような風情だった。

 

「でももし相手が君だと知ったら怒るかもな。」

 

そう言うと社長はちょっと首をすくめた。

 

「この状況を知ったら室長何もなかったとは思わないでしょうね。」

 

僕がそう言うと社長はまたコーヒーを一口飲んでから首をすくめた。

 

「そうだなあ。この状況を知ったら何もなかったとは思わないだろうなあ。まあでも実際何もなかったとも言えないけどなあ。」

 

社長は一人で変なことを言ってはにやにやしていた。まあ確かに何もなかったとは言えないだろうけどそうかと言ってさほど重大なことがあったわけでもないだろう。もっとも夜が明けるまではまだ時間があるのでどうなるか分からないけれど、・・。

 

「ああ、この苦味がいいね。うまい」

 

社長はコーヒーを一口飲み込むとほっとした様子でそう言った。もしかしたらちょっと緊張の糸が緩んだのかもしれない。僕も一口コーヒーを飲み込んだ。甘党だが、今はコーヒーの苦みが心地よかった。確かに僕と社長の間で張り詰めていたものがこのコーヒーブレイクでちょっと緩んだが、まだまだ夜は始まったばかりだし、この先どうなるか分からなかった。しかも僕の中の女の本能はうごめきまくって止まるところを知らないようだった。

 

「まだまだ夜は長いなあ」

 

社長は一言そう言うと天井を仰いだ。この状況にかなり苦労しているのかもしれない。まあそれはお互い様だが、・・。

 

「社長、私ね、自分が女に変わってしまったころ、・・」

 

「ちょっと待った。どうもその女に変わったとか話がそこのところになると頭が混乱する。何度も言うけど僕には佐山さんはずっと女で、ただ何かのきっかけがあって劇的な変化を遂げたとしか理解ができない。その『男が、女が』と言うところはパスさせてもらって佐山さんが変わったという理解でいいかな」

 

そこを理解してもらわないと話が進まないのだけど立場が逆なら僕も「何を訳の分からないことを言ってるんだよ」と思うだろうから致し方がない。

 

「分かりました。それはそれで結構です。でもこうなってまだ間もないころ、あの室長と一戦交えた沖縄旅行の少し前に、私、体調が悪くなって医者に掛かったんです。結果は慢性虫垂炎とそれに伴う腸の部分癒着だったんですが、最初に異常妊娠を疑われて内診を受けさせられたんです。それは間違いなく正当な医療行為には違いなかったんですが、僕にとってはすべてが未体験ゾーンで内診台に乗せられたとんでもない体勢で体の中を引っ掻き回されて衝撃的な体験でした。私も男としてセックスはさんざん経験してきましたけど立場が逆になって同性にあんなことをされるなんてたとえ殺されても耐えられないと思いました。元の佐山芳恵さんはそれなりに男性との交際もあったようですが、私はそうしたものはすべて断ち切って男に関しては『寄らば切る』みたいにして生きてきました。でも今日は何だかどんなものか一回体験してみてもいいように思っています。」

 

僕は話を切ると残ったコーヒーを一気に全部飲み込んだ。コーヒーの苦みが喉の奥まで広がった。その苦みを味わいながら『本当にこれでいいのかな』と自問するもう一人の僕がいた。

 

「コーヒーごちそうさまでした。ここから先は社長にお任せします。でも本当の女じゃないし、男の作法しか知らないのでうまく受け入れられるかそれは私にも分かりません。そうできるように努力はしますけどそれでもよろしければ、・・。」

 

僕はそこまで言うと寝間着を脱いでベッドに横になった。下着を取るのは男の楽しみだろうと思い残しておいた。もしも社長が行為に及んできた場合、自分がどうなるか自信はなかったが、事ここに至ってはこの状況を収めるためにはやむを得ないだろう。

 

「うーん、全権委任の据え膳か。よし、分かった」

 

社長はそう言うと照明を落として僕の隣にドサッと言う感じで体を投げ出した。佐山芳恵、二度目の処女喪失か。おっとビアンも勘定に入れれば三度目かな。そしてそのままの体勢で次を待った。

 

*****

 

翌朝僕は光を感じて目を覚ました。しばらく頭がぼおっとしていたが昨夜のことを思い出してハッとして起き上がった。ベッドには社長の姿はなかった。部屋を見回すと社長は洗面所から出てきた。

 

「やあ、おはよう。今日はいい天気になった。これなら飛行機は飛ぶだろう。ところで佐山さんはよく眠れたかな。僕はどうにもこうにも緊張してあまりよく眠れなかった。でも佐山さんはその後は何だかとてもよくお休みのようだったけど、・・。」

 

そう言えば僕は何だかんだでずい分よく寝てしまったようだ。まさか暴れて社長を蹴飛ばしたりしなかったとは思うが、なんだかちょっと心配になってきた。それよりも社長の前で起き抜けのバカ面をさらしていることに気が付いてバッグを取ると慌てて洗面所に駆け込んだ。そして顔を洗って髪を撫でつけて軽く化粧をして部屋に戻った。

 

「コーヒー、どうぞ」

 

社長が入れてくれたコーヒーを勧めてくれたのでありがたくいただくことにした。一口飲むとコーヒーの苦みが心地よかった。雪はすっかり止んで昨日の大雪がウソのようにきれいに晴れていた。

 

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