(CNN) 深海探査や歴史の専門家で構成する米調査チームが、第2次世界大戦中のミッドウェー海戦で沈んだ旧日本海軍の空母「赤城」を発見したと発表した。赤城は1942年6月5日、ミッドウェー海戦で沈没した。4日間にわたった海戦では、日本人3057人と米国人307人が命を落とした。
 
調査船を運航するバルカンの発表によると、残骸は20日、自律型海底探査機を使った海底探査で発見され、ソナー画像と赤城が沈んだ地点に関する情報を照らし合わせて、残骸が赤城であることを確認した。赤城はハワイの真珠湾からおよそ2000キロ北西に位置する太平洋中部のパパハナウモクアケア海洋保護区で、深さ約5000メートルの海底に沈んでいた。
ミッドウェー海戦で沈んだ旧日本軍の空母が見つかったのは、16日に発見された「加賀」に次いで2隻目だった。ミッドウェー海戦では、加賀と赤城を含む日本軍の空母4隻が沈没している。
 
ミッドウェー海戦は、日本軍の真珠湾攻撃から半年後に発生。日本海軍は米軍の空母を誘い込んで奇襲をかけ、ミッドウェー島を占拠する作戦を立てていた。しかし米軍はこの作戦に関する日本の通信を傍受し、日本軍が攻撃を計画している日時と場所を突き止めて、日本軍を待ち伏せた。
 
6月4日、米軍の雷撃機が、赤城など空母4隻を含む日本軍の艦隊を攻撃。続いて米軍の空母から発進した急降下爆撃機が日本の艦隊を攻撃し、空母4隻を損傷させた。最後には日本の駆逐艦がこの4隻を沈没させた。米軍が失った空母は「ヨークタウン」の1隻のみだった。
 
ミッドウエイ海戦は太平洋戦争の転機になったとよく言われる。確かに日本海軍機動部隊の中枢である第一機動艦隊の空母4隻と航空機300機を失ったことは大きな痛手だったが、この時点でもまだ日本海軍は太平洋において米国に対し海上兵力では優勢を保っていた。本当に日本が止めを刺されたのはガダルカナル島攻防戦とそれに伴うソロモン方面での消耗戦で1年間に25万トンの艦船と7千機の航空機と搭乗員、そして大量の輸送船を失っている。当時の日本は軽工業中心の産業体制で重工業生産力は低く、桁違いの米国の生産能力に完全に息の根を止められてこの膨大な損失を回復できずに敗戦へと追い込まれていく。もしもミッドウエイ海戦が戦争の転機であったならその後の日本軍がソロモンに進出して米豪分断作戦など行うはずがない。まだ勝っていると思うからできたことだったが、そこで消耗戦に引き込まれて生産力の差で敗れ去ったというのが真実ではある。ミッドウエイが戦争の転機と言うのは派手な勝利を収めた米国の宣伝で本当の転機はソロモン諸島方面の消耗戦にあった。だからガダルカナル島から撤退した時点で太平洋戦争の勝敗が決まったとも言える。そしてマリアナで負けた時点で手を挙げていれば本土は無事だったんだろうけどねえ。その後の終戦までの戦闘は米国にとっては残敵掃討戦のようなものだったのに、・・(^。^)y-.。o○。
 
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