今日は74回目の終戦記念日、戦争で亡くなった方の冥福を祈る。なぜあのような無謀な戦争を始めたのか、どう考えても理解ができないが、日中戦争打開の見通しが立たないことや国内の経済停滞などの閉そく感をすべて英米のせいにして一気に打開を図ろうとした結果だが、その裏には陸軍の組織拡大への野望やら海軍の組織防衛やら政治の無責任やら閉塞感に起因する国民の鬱積する不満やら様々な理由があったのだろう。米内光政が「揚子江のような大河の流れを棒杭の1本や2本で食い止めるのは不可能だ」と言ったそうだが、世の中全体が閉塞感の打破を目指して戦争へと走ったんだろう。

その戦争も開戦から半年は破竹の進撃を続けた日本軍だったが、ミッドウエイ海戦で空母4隻を失う敗戦で戦争の流れが変わったというが、実際にはミッドウエイ海戦で負けてもまだ日本が海上戦力では米側を凌いでいた。確かに歴戦の空母4隻と航空機300機を失ったのは手痛い敗戦だったが、それでも6:4くらいで日本に分があった。日本が本当に敗戦へと坂道を転がり落ち始めたのは1942年8月から始まったガダルカナル島をめぐる攻防戦だけで約900機の航空機と2400人の搭乗員、29隻の艦艇、そして大量の輸送船を喪失している。その損害はミッドウエイ海戦の数倍、そしてソロモン諸島全域での損害は軽工業中心の底の浅い日本の工業生産力を完全に枯渇させるに十分だった。

1943年の後半にこの地域での攻防戦が日本の敗戦で終わった時点で日米の戦力は決定的な差がついており、戦争の帰趨は決定していた。その後、1944年6月のマリアナ諸島沖海戦で日本が完敗してグアム、サイパンなどが米軍の占領された時点で完全な敗北、その後は米国にとっては残敵掃討戦で対等な戦いではなかった。国土が広大で資源を有し、工業力は日本の数十倍と言う米国にどうしてあのような無謀な戦争を挑んだのか、それが理解ができない。米国どころか英国一国でさえ日本の手には負えなかったという。もっとも強力に開戦を主張し、画策したのは陸軍の大差、中佐クラスの中堅将校と言うが、国家よりも組織の拡大とポストの確保と言う思惑があったんだろうか。

それなりの立場にあるものは「日本が米国と何とか対等に戦えるのは2年」と言っていたそうだが、それが分かっていながら戦争を止められないのはやはり時の流れと言うものだろうか。開戦を止めるのは天皇の聖断しかなかったという意見もあるが、昭和天皇は「徹底的に戦争に反対していたら殺されていただろう」と言う。時代の潮流と言うのはどのような権力者でも個人には阻止できないのかもしれない。

 

 

戦後70年以上も戦争とは無縁だった日本だが、今後はどうなるだろう。もっとも危険なのは米中でこの2大国が戦争になる可能性で最も高いのは台湾だと言う。今の香港情勢などを見ていると今後香港が中国からの離脱独立を目指す可能性が高そうだが、中国は絶対にそれを許さないだろう。それが台湾の独立へとつながっていく可能性が高いからだ。もしも台湾をめぐる戦いが生起すれば日本も当事者として巻き込まれることは確実ではある。戦争が生み出すものは破壊と殺戮、そして永遠に続く憎悪だけだ。そういうことのないといいのだが、そうは言っても祈ることくらいしかできないが、・・。

 
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