にじみ出る「悔しさ」
今週は、新しい元号の「令和(れいわ)」に沸いた1週間だった。私は、素晴らしい元号と思う。なにより、中国の漢籍に出典を求めず、日本の万葉集から選んだ点がいい。中国政府は言及を避けているが、内心、ガックリしているに違いない。出典の万葉集には次の一文がある。「初春の令月にして、気淑く(きよく)風和ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披き(ひらき)、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」。4月1日はまさに初春らしくキリッとして、風の穏やかな日だった。
この日はエイプリルフールだった。だが、今回ばかりは嘘や冗談にかまけずに、多くの人がテレビの生中継に釘付けになったのではないか。新天皇が即位する5月1日まで、マスコミも天皇と元号関連報道で盛り上がりそうだ。日本だけでなく、海外でも関心は高かった。とりわけ、中国である。政府系新聞の『環球時報』は新元号の決定を「初めての脱中国」と速報した。ところが、同日午後になって「中国の影響を消し去ることができない」と、次のように修正した。
「ナショナリストの立場に立つ安倍晋三首相は『中国ではなく、日本の古典から初めて採用した』と述べた。ところが、日本の古典のように見られていても、万葉集は古代中国詩の表現法や様式、テーマから影響を受けていた」「万葉集は梅の花に関する118の歌を集めているが、それらは中国の影響を反映している」(http://www.globaltimes.cn/content/1144288.shtml)
そのうえで「初めて中国の古典から命名しなかったのは、保守的な安倍政権の下で日本の政治的な懸念を反映している」「この選択は日本におけるナショナリズムと保守主義の台頭を示す。日本は独立した政治的パワーと他国に影響されない地位を求めている」という中国の学者のコメントを紹介した。いかにも、中国の漢籍が採用されなかった悔しさがにじみ出ていて、むしろ微笑ましい。中国外務省はといえば、抑制的だ。副報道局長は記者会見で「日本の内政問題だ。コメントしない」としたうえで「中日関係を引き続き発展させる」と述べるにとどめた。中国の漢籍を採用しなかったのは、元号そのものよりも、はるかに重要なポイントだ。
中国の皇帝は周辺国から貢ぎ物をいただく「朝貢」を国内支配の正統性を主張する根拠にしていた。「他国もオレに貢ぎ物を持ってくる。だから、オレが一番偉いのは当然だ」という理屈である(とはいえ、中国が与える返礼品は貢ぎ物の数倍以上の価値があったとされ、他国は返礼品欲しさにへりくだったふりをしていた、という説もある)。中国から見れば、日本が中国由来の元号を使い続けているのは「日本も中国の従属国のようなもの」と上から視線で見下す格好の理由になる。もちろん、日本が中国の従属国であったことは一度もない。
今回、安倍首相が中国の漢籍を排して、史上初めて、日本の国書にして最古の歌集である万葉集から採用したのは、実に適切な判断だった。とりわけ、いまの中国が尖閣諸島を脅かしている現状で、あえて中国の漢籍を使う理由はどこにもない。中国もそんな日本の空気は分かっている。本音は悔しいが、だからといって、反発すれば、日本の術中にはまってしまう。日中関係もとげとげしくなる。米国と貿易戦争を戦っている中、日本を敵に回したくない事情もある。それが「ノーコメント」の背景だ。
日本の共産党はどう反応したか
新元号を真正面から批判したのは、中国ではなく、日本共産党だった。共産党は4月1日、志位和夫委員長名で次のようなコメントを出した(https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/04/post-802.html)。
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元号はもともとは中国に由来するもので、「君主が空間だけでなく時間まで支配する」という思想に基づくものである。それは日本国憲法の国民主権の原則になじまないものだと考えている。わが党は、国民が元号を慣習的に使用することに反対するものではない。同時に、西暦か元号か、いかなる紀年法を用いるかは、自由な国民自身の選択にゆだねられるべきであって、国による使用の強制には反対する。
元号はもともとは中国に由来するもので、「君主が空間だけでなく時間まで支配する」という思想に基づくものである。それは日本国憲法の国民主権の原則になじまないものだと考えている。わが党は、国民が元号を慣習的に使用することに反対するものではない。同時に、西暦か元号か、いかなる紀年法を用いるかは、自由な国民自身の選択にゆだねられるべきであって、国による使用の強制には反対する。
政府は、これまでも「一般国民にまで(元号の)使用を強制することにはならない」ことを「政府統一見解」として明らかにしている。この立場を厳格に守ることを、あらためて求める。
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こんなコメントを出すくらいだから、共産党は元号を使わないのかといえば、そうではない。しっかり使っている。党機関紙の「しんぶん赤旗」は2017年4月1日付から西暦に加えて元号を併記しているのだ。その理由を同党は「『西暦だけでは不便。平成に換算するのが煩わしい。元号も入れてほしい』など読者のみなさんから要望を受けた措置です。これらは折りに触れ、手紙やファクス、メールで編集局に寄せられていました」とホームページで説明している(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-05/2017040504_02_1.html)。
今回の元号決定を受けた後も、併記を続けるという。「君主が時間まで支配する」とか「国民主権の原則になじまない」などと批判しておきながら、これでは首尾一貫しない。はっきり言えば「腰砕け」ではないか。口では立派なことを言いながら、実際の行動が伴っていない。元左翼の私から見ると、このあたりが「共産党の本質的な情けなさ」である(笑)。
国民に丸投げするのか?
共産党は天皇制についても、同じように煮え切らない。党の綱領は「天皇制のない民主共和制をめざす」と言いながら「憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきもの」と記している(https://www.jcp.or.jp/jcp/22th-7chuso/key-word/b_1.html#Anchor-0501)。
「国民の総意」などともっともらしいことを言っているが、そもそも「自分たちはこういう社会を目指す」と訴え、それが「国民の総意」になるように努力する。それが政党ではないか。それなのに、国民に解決を丸投げしてしまったら、主体性はどこにあるのか。
一言で言えば、国民に対するゴマすりだ。
「私たちは、みなさんに解決を任せますよ。私たちだけで勝手に決めませんよ」と甘言を弄して、人気取りしている。だが、彼らが権力を握ったら、どうなるか分からない。本当は反対なのに「読者の声」を理由に元号を併記するところに、ズルさが出ている。この調子だと、共産党は新天皇の即位についても「私たちは天皇制に反対だが、祝福する国民の声を尊重する」などと言うのではないか。この機会に、共産党の姿勢をしっかり見極めたいと思う。
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元号もああだこうだ言うけどこれだと言われればもうどうしようもない。受け入れるしかない。「令和」は「平成」よりも違和感がなかった。中国はいまだにアジアの宗主国と言う意識があるんだろう。元は中国の制度と言ってももう1300年以上も続いている日本の制度だから出典が中国の漢書にならかなったからと言って悔しいも何もないだろう。共産党は党勢拡大のために耳障りのいいことをあれこれ言うが、実際に政権を取ったらそれまで行っていたことなどすべて投げ出して彼らの主義主張に基づく政治を始めるだろう。「庶民の税金を減税して大企業からもっと税金を取れ」なんて言うが、大企業に重税を課したらその付けは従業員の給与に跳ね返る。給与を下げるなと言えば大企業は国外に出ていく。痛い目を見るのは国民である。まあ大多数の国民は分かっているから共産党の統制が拡大しないだろうけど、・・(^。^)y-.。o○。
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