首都圏の防空を担う航空自衛隊百里基地(茨城県)配備の「302飛行隊」が、F4戦闘機(通称ファントム)の運用を終える。

同飛行隊のF4は東西冷戦時代を含め半世紀近くにわたり、第一線でスクランブル(緊急発進)任務に就いてきた。ステルス性とは無縁の武骨な機体は、北海道から沖縄まで、激動の昭和・平成時代の防空を支えた。
 
302飛行隊は、機種変更により26日に三沢基地(青森県三沢市)配備の12機の最新鋭ステルス戦闘機F35の部隊として生まれ変わる予定だ。情報保全上、式典は報道公開はされない。百里基地に所属する301飛行隊と偵察部隊の501飛行隊のF4も2020年度には姿を消す。
 
◇「ミグ25」亡命でスクランブル
 
防衛省によると、302飛行隊は1974年に千歳基地(北海道)に誕生し、翌年11月1日から旧ソ連の脅威を正面に対領空侵犯の任務に就いた。そのわずか10カ月後に起きたのが国内外に大きな衝撃を与えたソ連の「ミグ25戦闘機」の強行着陸・亡命事件だった。
 
76年9月6日午後1時11分、極東に「目」を光らせる奥尻島レーダーサイトが北海道西方を時速800キロで東進中のアンノウン(Unknown=国籍不明機)を捉えた。9分後に千歳基地からF4戦闘機が発進し、機上のレーダーでミグ25を探知したが、30秒ほどで機影が消えた。ミグ25は低空飛行でレーダー網をかいくぐり、函館空港に亡命目的で強行着陸。パイロットのベレンコ中尉は事情聴取に「ソ連の地上レーダーに撃墜されたと誤認させるために急降下した」と説明した。
 
この事件を教訓に低空飛行の脅威に対するために「空のレーダーサイト」と呼ばれる早期警戒機の導入や、危機管理体制が見直され防衛庁(現防衛省)に中央指揮所が設置されたきっかけにもなった。
 
◇ソ連機に初の警告射撃
 
85年に那覇基地(沖縄県)に移駐した302飛行隊のF4は、再び旧ソ連機に対処し、注目を浴びる。「Unknown 航跡番号410…」。87年12月9日午前10時30分、宮古島のレーダーサイトが同島南西から接近して来る国籍不明機を探知。複数の機影を確認し、追尾・識別用の番号が割り当てられた。目標機はソ連機 Tu16J型 水平直線飛行中」。スクランブル発進したF4パイロットの視認でソ連軍の電子戦機「Tu16(バジャー)」と判明。変針指示や警告に従わず、沖縄本島上空を縦断するように領空侵犯した。当時の南西航空混成団司令は信号(警告)射撃を命令。F4は真横につけ、前方に向け20ミリ機関砲を発射した。
 
◇領空侵犯後、北朝鮮に
 
機関砲には相手のパイロットに警告射撃が見えるようえい光弾(トレーサー)が混ぜられているが、バジャーは無視して飛行を続け、徳之島と沖永良部島の間の上空で再び領空侵犯した。後にも先にも空自機が警告射撃した例はない。発射された実弾は数百発に上ったという。ソ連側は「ベトナムのカムラン湾からウラジオストクに戻る途中、航法装置が突然故障した」「(当該機は)平壌に着陸し、その後、ウラジオストクに帰着した」などと釈明した。

◇平成は南西正面、F15に譲る
 
平成の時代も南西諸島の防空に就いた302飛行隊だが、2009年に激増する中国軍機の対処強化でF15戦闘機部隊に主役の座を譲り、那覇基地から百里基地に移駐した。空自パイロットは「那覇基地でのスクランブルが急増し、F15に比べて燃費の悪いF4では隊員、機体ともに対処に限界があった」と振り返る。

◇加速は秀逸
 
「F4の操縦は一癖あり難しい」。空自のパイロットたちは口をそろえる。冷戦時代に開発されたF4は、安定性より機動性を重視した戦闘機設計のはしりだったが、機体の構造上、低速域の旋回が難しく、独特の操縦技術が求められる。例えば、着陸直前に速度を落とした「ベースターン」と呼ばれる旋回では、エルロン(補助翼)に頼らず足元の垂直尾翼の方向舵ペダルを踏んで機体を安定させることを教官からたたき込まれる。エルロンに依存すると意図しない方向に機体が大きく傾くからだ。
 
操縦席はアナログ計器が満載だが、2発のターボジェットエンジンの最大速度はマッハ2.2をたたき出し、最新鋭のF35のマッハ1.6を上回る。エンジンの特性上、第3世代機でありながら加速も第4世代機のF15やF2より勝る。整備は、機体の高さが低いためミサイルの装着を含めて作業は中腰を強いられる上、パネルの大半がビス止めしてあり、大量のビスを一つ一つ専用工具で外さなければならない苦労もあるという。ネジの摩耗や機体各所で進む腐食などの老朽化対策に神経を遣うが、「デジタル・電子化が進む中で、整備員の職人技が生かさせる機体」(空自OB)でもあった。302飛行隊のF4は今月19日にラストフライトを終えた。
 
◇米軍は20年以上前に全機退役
 
米軍のF4は1960年代に運用が始まり、ベトナム戦争や湾岸戦争に投入されたが、20年以上前に退役した。在日米軍でも使用されたが、海兵隊のRF4Bファントムが1977年に横浜市の住宅地に墜落し、幼い子どもを含め9人が死傷する痛ましい大事故を起こした。退役後のF4はミサイル発射試験の標的として使われた。

◇スクランブルにステルス機必要か
 
防衛省幹部は「F35が302飛行隊として発足してもスクランブル任務には就かず、訓練が続く」と話す。「First Look First Kill(相手に気付かれず探知し、撃破する)」がステルス機の極意。それだけに、政府内には「最新のステルス、電子戦機であるF35の機体をスクランブルに使い、情報収集に飛来する中国やロシア機のパイロットにさらす利点があるのか」との意見もある。
 
高度なセンサー能力をどう運用に反映させるのか。負荷がかかる単発エンジンの耐久性やメンテナンスの評価を含めF35はまだ実任務に向けた途上にある。官邸のトランプ米政権への配慮もあり1機約116億円(中期防衛力整備計画の単価)のF35を最終的に147機も大量調達することになったとされる。「老兵」からバトンタッチされた最先端機を平時の日本の防空にどう生かすのか。新元号の下で試される(時事通信社編集委員 不動尚史)。 


F4が導入されたときは米国の主力戦闘機と同機種が配備されると鳴り物入りだった。当時は無敵の押しも押されぬ世界最強制空戦闘機だったF4だが、時は流れて新型機と交代することになった。米軍のパイロットがF4を見て「まだ飛んでいたのか」と驚くそうだ。1958年に初飛行した機体だからすでに60年が過ぎているが、それでもまだ現役を保てたのはやはりそれだけ機体が優秀だったということだろう。世の中はエレクトロニクス全盛で戦闘機もエレクトロニクスが幅を利かせているが、腕と度胸で空を飛んだ最後の戦闘機かもしれない、・・(^。^)y-.。o○。

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