昨日、「夫の墓には入りません」という小説のことを書いたが、その中で主人公の中年女性は取材先を紹介してくれた世界を旅して歩いて日本にいるときは南米の人間と一緒になって街角で楽器を演奏している男性に求められると結構簡単に身を任せてしまう。


そしてその男性との行為の最中に死んだ旦那のことを思い出すと自分をかまってくれなかった旦那にへの不満を「私をこんなに求めてくれる男もいるのよ」と言ってぶつけては行為にのめり込んでいく。そんな逢瀬が何度かあった中で最後は男に「自分の旅行中、両親の面倒を見てもらえないか。その分の金も、・・。」と切り出され、結局は自分を好いていたんじゃなくて未亡人の心の隙間に付け込んだ金目当てと気が付いて男への愛情は急速に冷めて離れていく。そんな場面があった。


まあお話だからと言うのもあるが、「へえ、そんなに簡単に身を任せて、また、そんなに簡単にふっ切れるんだ」とちょっと思った。そう言えばもうずいぶん昔のことだが、同じ職場に大学出のそこそこ頭のいいけっこうしっかりした女性がいた。仕事もきちんとこなすし、その辺の男よりもずっと役に立ったし頭も切れた。


ある時、飲み会があってその場で、ちょっと酒の影響もあったんだろうけど、「私、飲み過ぎると危ないんです。そんなときに誘われると翌日になって『あ、ちょっとやりすぎちゃったけどまあいいか』なんて反省することが時々あって、・・」なんて舌を出している。それを聞いたときにびっくりしてしまった。女のいい悪いの判断と言うのはどこに基準があるんだろうと思ってしまう。


自分でやっていて何だけど、その時の女を見ていると、「こいつ、よくこんなことができるな」と思うこともある。やるやらないの判断は男の場合は「おう、やってやろうじゃん」で済むが、女の場合はどうなんだろう。他人の前で自分をさらけ出すことに抵抗がある自分としては女だったら余程のことがない限りあんな真似はできないなあと思うが、女に聞いてみると「そんなの男も女も一緒でしょう」とか軽く言われてしまう。


でも「そうか、そんなものかとか口では言っても『一緒じゃねえだろう』」なんて心の中では叫んでしまう。一度女になってあの時ってどんな何だろうと試してみたい気もするが、「じゃあ相手はどうするんだ」と言われたらこれが難しい。女の感覚と言うのは誠に理解しがたいが、女にしてみれば好きな相手がいるのに他の女ともできる男の感覚の方がよほど理解し難いんだそうだ。


遺伝学的には男は自分のコピーをできるだけ多く残したいので複数の女と交わろうとする。女は遺伝子の純潔を保とうとするので特定の男としかしないとか言うが、これも理解できるところもあれば怪しいところもある。


星新一のショートショートに『女は地球侵略のために宇宙から来た宇宙人で元々の地球人である男に快楽を与えて自分たちの思うように操れるようにして長い時間が経って双方同化したが、女族は宇宙人の名残を残していてそれが証拠には女族は時々女族だけで集まってあれこれ長話をしては情報交換をしている』なんていうショートがあったが、結構それらしくて面白かった。


結局男と女と言う生き物はお互いに宇宙人なのかもしれないと思えるくらいに肝心なところでは馴染まないように思う。あ、最後に断っておくが、先に話した職場の女性を酒にかこつけて誘ったりはしていないので念のために、・・。向こうが誘っていたのかもしれないが、今となっては永遠の謎ではある。まるで男と女のように、・・(^。^)y-.。o○。

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