昨日、今日と京都に行ってきた。京都は歴史と文化の街などと言われるが、男の野望の残骸がそこここに転がっている街でもあれば怨霊退散巨大システム都市でもある。その怨霊の原因は政敵を謀殺したり武力で討伐したりして殺したことが原因のようだ。
自然災害が起こったり飢饉が起こったり感染症が流行したりすると殺した政敵の祟りだとか怨霊のせいだとか悪霊が都に入ってくるだとか言ってはあちこちに神社や寺院を建立した。京都の東西南北には大将軍神社、西は松尾大社に神護寺、南は城南宮に藤森神社、東は将軍塚に青龍殿、そして鬼門の北には比叡山延暦寺に賀茂神社、街の中にも殺した政敵を祭る神社や寺院が林立状態で今の感覚で言えば「そんなバカなことがあるか。自然現象や感染症だろう」と言うことになるが、当時の人には「怨霊悪霊の祟り」と思ったんだろう。
もっとも今我々がやっていることもこの先何百年後の人類から見れば「当時の人間はなんとまあ原始的なことを、・・。」などと言われるのかもしれないが、そのころには今の我々には想像もつかないような世界になっているんだろう。ちょっと見てみたい気がするが、それは叶わぬ願いだろう、‥(^。^)y-.。o○。

※ 松尾大社、お酒の神様とか言うが、王城の西の護り‥(^。^)y-.。o○。

※ 大衆軍神社、王城鎮護の要だそうだ、‥(^。^)y-.。o○。
日本ブログ村へ(↓)