兵庫県加西市が製作する旧日本海軍の戦闘機「紫電改」実物大レプリカの鋲打ち式(起工式)と安全祈願祭がこのほど茨城県小美玉市の工場で行われ、機体の骨組みが姿を現した。完成後は、加西市が旧姫路海軍航空隊鶉野飛行場跡(同市鶉野町)で建設を計画している市鶉野ミュージアム(仮称)で展示し、観光や平和学習に生かす。(森 信弘)
スピードや上昇機能に優れた紫電改(全長約9メートル、幅約12メートル)は、川西航空機(現・新明和工業)が1945(昭和20)年1月から約400機を製造。同市の鶉野工場では44機を組み立てた。国内では唯一、79(昭和54)年に愛媛県愛南町沖で引き揚げられた1機が同町内で展示されている。
レプリカは来年3月の完成を目指し、総事業費は約1500万円。鶉野平和祈念の碑苑保存会メンバーの上谷昭夫さん(79)=高砂市=らの協力を受け、博物館などの展示空間制作を手掛ける「広洋社」(茨城県)が施工。10分の1の試作品を何度か作ってから、実物大の骨組みを作り上げた。
式典には加西市職員や同保存会などの関係者ら約20人が出席し、神事などが行われた。今後は、新明和工業関係者の助言も受けながら、アルミ板を加工して手作業で張っていくという。羅針盤など現存する部品を組み込むことも検討している。
スピードや上昇機能に優れた紫電改(全長約9メートル、幅約12メートル)は、川西航空機(現・新明和工業)が1945(昭和20)年1月から約400機を製造。同市の鶉野工場では44機を組み立てた。国内では唯一、79(昭和54)年に愛媛県愛南町沖で引き揚げられた1機が同町内で展示されている。
レプリカは来年3月の完成を目指し、総事業費は約1500万円。鶉野平和祈念の碑苑保存会メンバーの上谷昭夫さん(79)=高砂市=らの協力を受け、博物館などの展示空間制作を手掛ける「広洋社」(茨城県)が施工。10分の1の試作品を何度か作ってから、実物大の骨組みを作り上げた。
式典には加西市職員や同保存会などの関係者ら約20人が出席し、神事などが行われた。今後は、新明和工業関係者の助言も受けながら、アルミ板を加工して手作業で張っていくという。羅針盤など現存する部品を組み込むことも検討している。
ミュージアムが完成するまでの展示場所は検討中。市の担当者は「レプリカをきっかけに加西に注目が集まれば」と期待している。
太平洋戦争敗戦の反動で戦争に関連するものはすべて悪としていた風潮が少しずつ戻りつつあるように思う。当時の戦闘機や戦車、軍艦などは今となっては技術遺産だろう。紫電改も太平洋戦争末期に登場した海軍の戦闘機で零戦が性能不足で米国の新鋭機に対抗できなくなっていた当時、海軍期待の新鋭機だった。戦闘機の性能としては当時の米軍の新鋭機には一歩譲るというところだったそうだが、松山343航空隊の活躍は有名だが、その戦果については疑問もあるという。しかし絶対的に不利な状況の中で米軍とほとんど五分に渡り合ったのは立派だろう。戦争の惨禍とともに当時の日本の技術が遺産として残されるのは悪いことではないと思う、・・(^。^)y-.。o○。
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