昔々、当方がオールキャストで作った「連合艦隊司令長官山本五十六」と言う映画のDVDを買ってきた。内容は五十六さんが海軍次官のころから昭和18年に戦死するまでのものだが、大部分は真珠湾からミッドウエイ、ソロモンの攻防戦などが描かれている。戦争ものなので戦闘場面を絵にした方が見栄えがするんだろうけどこの人の場合は現場の指揮官よりも軍政畑の方が似合ったように思う。
頭のいい人で無暗に勇ましい当時の軍人とは違い、冷静に日米の国力を分析して「米国と戦えば2年が限界」と予想していたが、実際に戦争はその2年で勝負がついた。ミッドウエイで負けたのが敗因のように言うが、実際に日本の国力を消耗させ尽くしたのはソロモンの消耗戦で日本がガダルカナルから撤退してソロモン方面放棄を決定した時点で日米の国力には大きな隔たりが生まれていてその後の戦争は米国の追撃戦、そしてフィリピンで負けた後は掃討戦でしかなかった。
山本さんが連合艦隊司令長官ではなく海軍大臣になっていれば、またその後の日本の運命は変わったのかもしれないが、殺されていたかもしれない。米内総理、山本海軍大臣、井上次官と言うメンバーで戦争に反対していたら陸軍に倒閣されただろうなあ。米内内閣も陸軍大臣が辞任して倒閣されたし、・・。
当時は誰が扇動したかは知らないが、世の中全体が「英米討つべし。開戦やむなし」と言うムードだったのでそんな状況で非戦など唱えれば非国民の烙印を押されたような時代なので誰が上に立ってもあの戦争は防げなかったんだろう。
石油の禁輸解禁と引き換えに南部仏印から撤兵、中国との講和については英米に仲介させて三国同盟は凍結なんてことができれば良かったんだけどそれも無理だろうなあ。海軍は責任を取ることを非常に嫌って前に出て陸軍との対決を避けてしまったので「バカな陸軍、ずるい海軍」などと言われたが、海軍で作戦用兵はともかく軍政に関しては米内、山本辺りが最も優れていたのではないだろうか。それでも米内さんは「戦争回避の努力はナイアガラの滝の手前で舟を漕いでいるようなもの」と言っていたそうなので徒労でしかなかったんだろう。
真珠湾攻撃も賛否両論があるが、軍事施設まで破壊しておけば良かったんだろうけど軍令部から各戦隊指揮官には「船を失うな」と言う指示が徹底していたのである程度の効果が上がればさっと引き返してしまったんだろう。もっとも石油タンクや海軍工廠などを破壊しても戦争が数カ月延びただけで日本が勝つなどと言うことはなかっただろうし、海軍伝統の漸減迎撃戦をやって勝ったとしてもこれも戦争を数カ月延ばす程度の効果しかなかっただろう。
国力の差と言うのは冷徹で非情なものではある。で、映画の話だが、ドンパチよりも戦争回避に焦点を当てた方が興味深いようにも思うが、それも地味な話だから無理か。しかし、時代の流れと言うのは恐ろしい。一度大きな流れができてしまうとそれを止めることは容易ではない。それが最も重要な教訓だろうけど果たして生かされているのか、ちょっと疑問ではある、‥(^。^)y-.。o○。
日本ブログ村へ(↓)