太平洋戦争当時の日本の戦闘機で遅れていた技術はプロペラと過給機だろうか。エンジンそれ自体はそれなりに作ってはいたので液冷エンジンを除けば大きく遅れていたということもないだろう。液冷と言えば米国もこれと言ったものを作ってはいない。
インフラで言えばハイオクガソリンの精製、オイルの合成、強いスパークを発生できる点火プラグ、放電しないコード類などだろうか。戦後、米国で日本の機体を試験すると速度は概ね10%ほど上がったという。
どういう状態で試験したのか分からないが、事実とすれば零戦は600キロを少し超える程度の速度が出たのだろう。四式戦は日本の公式速度が624キロ、米国の試験結果が689キロなのでちょうどそんなものになる。彩雲も試作機は630キロほどと言うので米国の試験結果が694キロもなるほどの世界ではある。紫電は結果は残っていないが670キロほど出ていたようだ。
今ならその辺のスタンドで当たり前に販売されている100オクタンガソリンとちょっと高級なオイルでもあればいいと言うことか。もっとも当時のハイオクは有鉛だったんだろうから有鉛ガソリンが必要か。当時は四エチル鉛をカップで測って混入するなどと言う原始的な方法を行っていたとか、・・。もっともバルブを交換すれば無鉛でも大丈夫だろう。
プラグとハイテンションコードもカー用品量販店で売っている。規格が違うだろうけど、イリジウムプラグとか持っていけばいいんだろう。
過給機はスーパーチャージャーでは二段二速過給機が実用化できなかったのは戦前にお手本となる実物が入手できなかったからという。一段二速過給機はそれなりのものが出来ていたという。戦争後半になってドイツからの技術でフルカン継手(今でいうビスカスカップリングのようなものか)の二段二速過給機を作ろうとしたがうまく行かなかったようだ。
排気タービン過給機は今では三菱重工とIHIが世界のシェア4割を占めているが、当時はなかなかうまくできなかったようだ。特にニッケルやクロムなどの入手が困難になって耐熱鋼が作れなかったようだ。これも今はKカーにもタービン過給機がついているので大丈夫だろう。
そしてプロペラは、これは回転数に応じて自動的にプロペラの角度を調整する精密機械がうまくできなかったということか。ハミルトン、VDMの油圧、ラチェの電動などを導入しているが故障が多かったという。今は航空機よりも船舶のスクリューを多く作っているが、構造は一緒か。要は当時作っていたやつをリファインしてやればいい。
これで当時の日本汚戦闘機も米国の戦闘機に負けないくらいしっかり飛ぶだろう。もっとも物量で負けるか。航空自衛隊のT4辺りでも300機くらい持って行ってやれば戦局が変わった可能性はある。もっともあれは純然たる練習機で武装を考慮していないのでダメか。
日本の当時の機体設計は欧米とほぼ対等だったそうだからエンジンとプロペラ、そして附帯するインフラがしっかりすれば米国の戦闘機と対等に渡り合えただろう。もっとも総力戦は質のいいものをたくさん作った方が勝ちだそうだからやっぱり負けるか。そう言えば89式戦闘装甲車について当時自衛隊では「一対一なら世界最強」なんて言っていたが、あんなもの一対一で勝負するわけじゃないからなあ。技術ももちろんだが、生産力も大事ということか。
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