今回もバイクで京都まで行った。敦賀から小浜に出て鯖街道を通って途中越えから大原へ、・・。そこから岡崎・銀閣寺なんて標識を目指して京都を北から南へと縦断した、・・ようだ。・・ようだというのは実際にどこを走ったのかよく分からないからだ。


京都は結構行っているが、見たいところをいい加減に歩き回っているので位置関係がよく分からない。まあ適当に走ればさほど広くない街なので何とかなるだろうと言うことで最後は琵琶湖疎水なる場所に出た。そこから京都東ICに走っていくとあちこち見たことのあるものが結構出てきた。そう言えば何度かバイクで来たなあ。


ところで京都と言うと「歴史と文化の街」などとありがたがっているが、どうして京都に山のように神社やお寺があるか知っているんだろうか。それは殺した相手が祟らないように神社やお寺を作って祭ったからだ。


1300年も権力の中心だった京都は常に権力闘争の場となっていた。そして陰謀を企てて政敵を殺戮した。しかし殺した相手に祟られると恐ろしい。だから神社や寺を作って祭ったんだ。


その代表的な例は菅原道真さん、政敵の藤原さんがこの人を讒訴して九州の太宰府に飛ばしたのはいいが、2年で死んでからと言うもの、疫病は流行る、転変地変は起こる、飛ばした反対勢力は祟りだと恐れ戦いて太宰府天満宮を作って菅原道真さんを祭って官位も生前の正一位に戻してやった。それで永輝病や転変地変が治まったかどうか分からないが、大方の神社仏閣はそんなもののようだ。


京都を歩いているとあちこちで誰が死んだの、殺されたのと言う碑が建っている。文化と歴史よりも人間の欲望と闘争の歴史が泥沼のように堆積した京都という街の方が人間の愚かしさが滑稽で面白い。


様々な国宝とか重要文化財なんて言う仏像が真砂のようにあちこちの寺に祭られているが、それに一心不乱に「祟るな、祟るな。成仏してくれ」と手を合わせていた権力者の姿を思うと笑ってしまう。そして次は自分の番が回ってくるのだ。京都でいったいどのくらいの人間が殺されたのか、人間という生き物は業の深い生き物ではある。


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