今日本屋をのぞいたら「戦艦大和建造」とか言う文庫本が出ていた。前間さんとか言う人の本で改定かと思ったら新刊だった。大和の本もいろいろ読んだので買わなかったが、帝国海軍と言うと大和などの戦艦、瑞鶴・翔鶴などの空母、利根、鈴屋などの重巡、陽炎型、夕雲型などの駆逐艦、伊号潜水艦などに注目が行ってしまいがちだが、隠れたヒーローがいる。


それは松型駆逐艦と丙・丁型海防艦、さらには一等・二等輸送艦、そして大発だと言う。松型駆逐艦はソロモン方面などで駆逐艦の大量喪失に苦しんだ海軍が計画した小型で量産が容易な駆逐艦だったが、対潜・対空・電波兵器に重点を置いて機関配置も工夫するなど速度が若干不足している程度で使い易い駆逐艦で何よりも戦争後半から末期にかけて32隻と言う大量建造が出来た点が大きい。


丙・丁型海防艦は米潜水艦の攻撃による商船の大量喪失と護衛艦不足に苦しんだ海軍が建造した小型の商船護衛艦艇で戦争後半期から終戦までに120隻以上が完成した。最短で74日で完成した艦もあると言うことで量産性の確保には成功しているが、戦争末期によくもこれだけの船を作ったものだと感心する。もっと早くにこれらの護衛艦艇を作って活用していたらもう少し物資の輸送に貢献できたかもしれない。戦後何隻かが海保などで巡視船として使用されている。


第一号輸送艦(一等輸送艦)は敵の制空権下を高速で強行突破するために建造された輸送艦で終戦までに21隻が建造された。戦後、肉不足に苦しんだ日本では本級の一部は捕鯨母船としても使用されている。第百一号輸送艦(二等輸送艦)は戦車などの重装備を直接海岸に揚陸させるための輸送艦で69隻が完成し、陸軍でも22隻が使用されたという。


戦争後期から末期にかけて建造されたこれらの駆逐艦、海防艦、輸送艦は決して粗製乱造ではなく相応の戦闘力、輸送力を有していたことはすべてが粗製乱造に陥っていた当時において特筆に値する。


そして最後は零戦にも匹敵すると言う大発明の大発動艇だろう。これは大規模上陸の際に使用する上陸用舟艇だが、日本の場合はソロモン方面などで敵の制空権下で拠点から末端までの輸送など決して目立たないが、第一線を支えて八面六臂の大活躍をしたと言う。


また、米軍の魚雷艇のような高速艇を持たなかった日本軍はこの大発に戦車砲や機銃を装備して武装大発として敵の魚雷艇や駆逐艦などとも戦闘を行ったという。大発は全長15m、幅3.3m、武装兵70名または貨物11トンを積んで8ノットで航行できたというが、魚雷艇などと戦闘を行う場合は低速、低機動で不利だったそうだが、戦闘を目的とした舟艇ではないのでやむを得ないだろう。それでもこれらの大発を鹵獲した米豪軍は非常に重宝して活用したと言う。


こうした戦争中に大量建造された艦船は地味で決して目立たないが、第一線の全域で戦線を支えて死闘を繰り広げた隠れたヒーローであり、また、物資もなく空襲で施設が破壊される中でこれだけの量産を行うことができたのは日本の造船能力の高さゆえだろう。どうしても派手な大型の戦闘艦艇に目が行きがちだが、こうした隠れた存在にもぜひ光を当ててやるべきだろう。

※ 大発動艇を開発したのは陸軍で船舶工兵などが運用するほか、海軍にも相当数がリリースされて運用されたそうです。陸軍は上陸作戦に関してはかなり積極的に研究開発をしていたということです。


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