昭和20年4月7日、帝国海軍の戦艦大和は沖縄への水上特攻出撃の途上、387機の米海軍艦載機の波状攻撃を受けて約2時間の攻防の後に魚雷10本以上、爆弾5発以上を受けて沈没した。基本的に大和と言えども敵の圧倒的な航空優勢下で多数の航空機の波状攻撃に耐えられるようには作られていないし、当時の対空火器の性能から言っても当日の天候が災いしたとは言え、航空攻撃を撥ね退けて生き残るのは難しかっただろう。


では現代の対空火器を積んでいれば沖縄まで行けただろうか。VLSを積めるだけ積んでミサイル艦にしてしまえば簡単だろうけどそれでは大和がなくなってしまうのでできるだけ大和の原型を残した姿で改装すると、主砲は旋回俯仰ともに電動化してレーダーと連動させる。対空弾には近接信管を装備する。射撃レーダーは艦橋トップに装備する。ついでにマストもつけて対水上捜索レーダーや航海用レーダーなども装備する。


後部艦橋には三次元対空捜索レーダーを装備する。海自のFCS3改でもいい。前後の副砲は撤去してここに5インチ砲か3インチ速射砲(できれば2門)を装備して前からの急降下爆撃に備える。


両舷の高角砲はすべて撤去してひな壇を作り直して下段に3インチ速射砲4基、上段にボフォースの57ミリ速射砲4基を装備する。米軍機は日本の25㎜機銃の射程外、概ね2千メーター、で投弾していたようなので20㎜、30㎜のCIWSでは投弾前の撃墜は困難ではある。


艦橋両舷、煙突両舷、後部艦橋両舷には30㎜ゴールキーパーを装備、後部甲板にも2基程度を装備する。これで主砲2万メーター、76㎜砲1万5千メーター、57㎜砲8千メーター、そして最後に機銃掃射のために突っ込んでくる戦闘機用にCIWSと4段構えの防空網を構築できる。ただしこれらの火器はいずれも精密兵器なので被弾には弱いだろう。敵機は絶対に近づけてはいけない。


護衛艦も役に立たない6インチ砲、5インチ砲はすべて撤去して5インチまたは3インチの自動砲に交換する。矢矧は8センチ高角砲を撤去して57ミリ砲を装備する。25㎜機銃もすべて下してCIWSに交換する。ソナーも換装して短魚雷とアスロックは無理だろうからボフォースの対潜ロケットでも装備するか。


ついでに大和の主砲弾はRAP誘導弾に、巡洋艦、駆逐艦の魚雷はSSMに交換すればいいんだけどこれも防弾をしっかりしておかないと機銃弾で誘爆するからな。主機もLM25008機20万馬力くらいに換装しておくか。ついでに桁違いに電力を食うだろうから発電機も、・・。うーん、大工事だなあ。でもこれで沖縄まで行けるかねえ、・・(^_-)-☆。


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