93歳の作家、佐藤愛子氏のベストセラーとなったエッセー集『九十歳。何がめでたい』をもじって言えば、「70歳。何がめでたい」となろうか。3日、施行70周年を迎えた日本国憲法のことである。

 
現行憲法は、占領下に連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策を担う若手民政局員らが、ごく短期間で草案を書き上げた。しかもそこには、日本の非武装化・弱体化を狙う明確な意図すら込められていた。

 
そんなものを、われわれは後生大事に70年間も神棚に飾って信心し、全く手を触れずにきた。何とも「おめでたい」話であり、とても祝う気にはなれない。

 
とはいえ、時代は徐々に変わり、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の4月の合同世論調査では、憲法改正に賛成の人が52・9%(反対は39・5%)に上った。昨年11月の調査に続き、すでに過半数を得ている。

 
国会では、衆参両院の憲法審査会で憲法をめぐる諸課題が議論されている。ただ、与野党の幅広い合意を得られる改憲項目を見いだすため、その歩みが遅々としているのは否めない。

 
◆避けられぬ「9条」

そもそも国民投票で賛否を問う憲法改正項目については、「1回で3条項前後が常識的だ」(自民党憲法改正推進本部の保岡興治本部長)とされる。

 
具体的には現在、(1)首都直下型地震など大規模災害や有事に備える緊急事態条項の盛り込み(2)自衛隊に関する記述がなく、憲法学者の約3分の2が自衛隊違憲説を採るなど現実との不整合を生んでいる憲法9条(3)教育無償化-などが俎上(そじょう)に載せられている。

 
中でも9条に関しては、安倍晋三首相は周囲にこう語っている。

「自衛隊の位置づけの問題も含め、避けては通れないというのが私の考えだ」

特に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定める9条2項は、ただ戦力を持たないと突き放すばかりで、どうやって国民の生命・財産を守るかの言及はない投げやりで無責任な条文である。

 
こうした喫緊の課題を含め、憲法が少しずつでも改められていくならば、それは憲政史上画期をなす一歩であり、大きな意義があることは間違いない。

 
◆悲哀まぶした前文

ただ、仮に9条への条文追加や緊急事態条項盛り込みなどの部分改正が成し遂げられたとしても、それはゴールではない。現行憲法には、89条で禁じられている私学助成が制度として存在する矛盾や、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」とうたう11条と97条の重複、日本語のおかしさなど、手を入れるべき箇所はたくさんある。

 
何より「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と掲げる前文は罪深い。存在しない子供じみた絵空事を国の最高法規で説くことで、9条2項と連動し、日本人のモラルと国際感覚、現実認識をゆがめてきた。

 
厳しく叱られた子供が、卑屈に大人を見上げて「もう悪いことはしません。言うことを聞くいい子になります」と許しを請うているようなみっともない文章である。米国憲法や国際宣言を切り離し、敗戦国の悲哀をまぶしたような前文は一刻も早く改めたい。

 
国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という基本的な原則は守りつつも、憲法には全面的な改正の必要がある。


「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というその「平和を愛する諸国民」と言うのがどこにいるのか参考のために見せてもらいたい。憲法改正と言うと9条ばかりを引っ張り出してきて、「この憲法があったから戦後日本は70年かも平和でいられた」と言うが、それでは日本人は現行憲法がなければ戦争ばかりしているウォーモンキーだと言うのか。最近はさすがに「非武装中立」などと言う滑稽極まる絵空事を言うものはいなくなったようだが、憲法改正にしろ擁護にしろ、国や国民がどうのではなくて政党や政治家がその存在意義を示すために主張しているような気がする。国の交戦権を否定し、戦力の保持を認めない憲法を掲げながら世界有数の軍事力を保有している日本、他にもそうした矛盾や過不足はいろいろあるだろう。どれほど優れた憲法でも70年も経てば世の中の情勢にそぐわない部分も出てくるだろう。一度すべてを見直して改正すべき部分は改正すればいい。憲法のための国家国民ではなく国家国民のための憲法なのだから、・・。


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