初代ソアラは、新世代ビッグスペシャルティカーとして日本の自動車文化に大きな影響をもたらした。2度のオイルショックと段階的に実施された厳しい排出ガス規制を何とか乗り越え、開発体制をクルマの高性能化にシフトできるようになった1970年代終盤のトヨタ自動車工業。日本の自動車市場をリードする同社は、1980年代に向けてどうしても開拓したいジャンルがあった。


1970年代後半、トヨタはコロナ・マークⅡの2600シリーズという“高級パーソナルカー”をリリースしていた。このモデルのユーザーからは、もっと高品質で高性能なモデルを――という声が日増しに高まる。トヨタとしてもその要求は十分に把握しており、排出ガス規制対策に目処がつけば、早急に新しい高級パーソナルカーの開発を本格化させたいと思っていた。そして1970年代終盤になって、ようやく本格的な開発環境が整ったのである。


新しい高級パーソナルカーを企画するに当たり、開発陣は「既存車のバリエーション拡大では、もはや限界」という認識を持っていた。そして、機構的にもイメージ的にも、まっさらなニューモデルでなければ1980年代の高級パーソナルカーには仕上がらない、と判断する。最終的に開発陣は、既存モデルには縛られない新ジャンルの高級パーソナルカーの創出を目指すこととなった。トヨタ自工は、まず1980年開催の大阪国際オートショーの舞台に「EX-8」という高級パーソナルカーの参考出品車を展示する。そして翌81年2月、EX-8の市販版であるMZ11/GZ10型系「ソアラ」を市場に送り出した。伸びやかな直線基調のデザインは空気抵抗の面でも有利に働いた


■デジタル式、マイコン式…ハイテクてんこ盛りの最先端モデル

英語で“最上級グライダー”を意味する車名を冠し、キャッチフレーズに“スーパーグランツーリスモ”と掲げたソアラは、当時の先進機構を満載していた。4輪独立懸架の足回りを採用したシャシーは新設計で、しかも4輪ベンチレーテッドディスクブレーキやミシュラン製ラジアルタイヤなども組み込む。搭載エンジンは新開発の5M-GEU型2759cc直列6気筒DOHC(170ps)と改良版の1G-EU型1988cc直列6気筒OHC(125ps)を設定した。


ソアラは内外装についてもトピックが目白押しだった。2ドアノッチバックのスタイリングは、フロントおよびリアの台形フォルムとノーズからトランクまでストレートに伸びたサイドラインを基本に流麗で端正なルックスを構築。空気抵抗係数(Cd値)もクラス最上レベルの0.36に達した。一方、上質な素材で覆われたインテリアには、最新のエレクトロニクス技術、当時の言い方では“ハイテク”が積極的に採用される。具体的には、計器盤から指針をなくしたエレクトロニックディスプレイメーター、デジタル式の任意速度警報装置、省エネ機構を内蔵したマイコン式オートエアコン、進化したスピークモニター、使いやすさを引き上げたクルーズコンピュータなどの先進機構が豊富に盛り込まれていた。エレクトロニックディスプレイメーター、マイコン式オートエアコンといった“ハイテク装備”満載。インテリアもゴージャスな仕上げ


■“デートカー”ならレパードよりソアラでしょ!

トヨタの新世代高級パーソナルカーのソアラは、同時期にデビューした日産レパードとともに “ビッグスペシャルティカー”という新カテゴリーに位置づけられるようになり、市場での注目度を大いに高めていく。ただし、販売シェアに至ってはソアラがレパードを圧倒した。エンジンに最新のストレート6ツインカムを採用し、スタイリングや内装の高級感も上回っていたことが、ソアラ人気を引き上げた要因だった。この上昇気流をさらに高めようと、開発陣は積極的にソアラのマイナーチェンジを図っていく。1981年6月にはM-TEU型エンジン(145ps)を積む2000ターボ仕様を設定し、翌82年3月には専用レザーシートやツートンのボディカラーなどを装備した最上級グレードの2800GTリミテッドを追加。1983年2月にはマイナーチェンジを実施し、内外装の仕様変更や1G-GEU型1988cc直列6気筒DOHC24Vエンジン(160ps)の設定などを行う。そして1985年1月になると、6M-GEU型2954cc直列6気筒DOHCエンジン(190ps)を搭載するフラッグシップモデルの3.0GT(MZ12型系)が登場した。


同時期にデビューした日産レパードよりも内外装の高級感が勝っていた。

新世代ビッグスペシャルティカーのソアラは、自動車文化にも大きな影響をもたらした。いわゆる“デートカー”の流行である。当時は女子大生がブームで、彼女らが好きなクルマとしてソアラと2代目プレリュード(1982年デビュー)が覇権を競った。ちなみに、輸入車でデートカーの人気トップに君臨したのがE30型系BMW3シリーズ(1982年デビュー)で、街で見かける頻度の多さから “六本木のカローラ”というニックネームがつくほどだった。


ここでも何度か書いたが、この車が出た時は本当にカルチャーショックと言うほど驚いた。(当時の1980年代の)日本でこんな車が作れるのかと、・・。当時の車のエンジンは直列4気筒OHV、キャブ仕様が当たり前でちょっと高級なエンジンでも直6SOHC、電子燃料噴射が出始めたころだった。それが極めて上品なノッチバック2ドアクーペ、エンジンは直列6気筒DOHC2800cc、ハイテク装備山盛りで室内は高級ホテルの応接のよう、・・。価格も最上級モデルは500万の上、当時の一般的なファミリーカーはせいぜい100万だったから「何時かはクラウン」のクラウンなど霞んでしまいそうな車だった。レクサスのLFAもGT-RもNSXも衝撃の大きさと言う点では真っ青だろう。女子大生には興味はなかったが、この車を見るたびにため息が出た。


2代目はさらに優美さに磨きがかかってバカ売れに売れてありふれた感じだったが、それでもスタイルと品の良さは抜群だった。3代目以降は米国に照準を合わせたスタイルになって日本では不評だった。最後はレクサスSCとなったが、それも生産が中止となった。トヨタは初代ヴィッツ、流面形セリカなど時としてあっと思わせる車を世に出すが、その中でもこのソアラは群を抜いていた。スタイリングとしては今でも何の抵抗もなく通用すると思う。しかし、いくらバブル全盛とは言え、当時の安月給では何とも高根の花だったが、・・。


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