「あのスカイラインが新しくなりました」。「ケンとメリーのスカイライン」(通称ケンメリ)というキャッチフレーズで大人気となった4代目スカイラインに使われたテレビCMの一節だ。この4代目に設定された「スカイライン 2000GT-R」は、ツーリングカーレースへの参加がなく、市販車の販売も1973年(昭和48年)1月からわずか4カ月という短期間で終了した。総数で200台足らずしか生産されなかったため、その希少性の高さから「幻のGT-R」と呼ばれている。日産グローバル本社ギャラリー(横浜市)を訪れ、“レジェンド”に対面した。


 
「スカイライン 2000GT-R」は、吸気側エアダクトの装着や4輪ディスクブレーキ化など、先代GT-Rより進化したメカニズムで注目された。また、通常のスカイラインシリーズとは異なるメッシュタイプのフロントグリル、ワイドタイヤを収めるためにフロント側に追加されたオーバーフェンダー、当時としては異例のリヤスポイラーを標準装備したエクステリアが秀逸だった。だが、販売当時でもその姿を路上で見かける機会はめったになかったという。

 
「ケンメリ」は、一つ前のモデルである「ハコスカ」(3代目スカイライン)から大きな変更が施された。最も印象的な変更点は丸型4灯テールランプを採用したこと。このテールランプは「ケンメリ」以降、歴代スカイラインの象徴的デザインとして導入された。「丸型4灯テールランプでなければスカイラインではない」と言い切るファンも多い。

 
ノーマルモデルの「ケンメリ」は、ロマンチックなCMのストーリーで話題を呼び、若者から年配者まで幅広い年齢層の共感を集めた。累計販売台数は歴代最高となる64万台を達成するベストセラーとなった。テレビCMに登場した有名な木は「ケンとメリーの木」と名付けられ、観光スポットとして人々に親しまれた。

 
「この『スカイライン 2000GT-R』は、日産でもごくわずか(赤色と白色の各1台)しか所有していない大変貴重なクルマです」。そう教えてくれたのは日産の広報担当者。今回撮影した車両は赤色の車両。「幻のGT-R」という先入観があるとはいえ、実車が放つ艶やかさと存在感は圧倒的だ。大手中古車サイトをざっと調べてみたが、“本物”を見つけることはできなかった。幻の実車を前にして、思わず手を合わせて拝みたくなる気持ちになった。


ケンメリGTRは車体が大きくなりすぎ、性能が良くないことや排ガス規制の影響で200台ほどしか生産されなかったという。日産の車は好きではないし、乗ったこともないが、日産の偉いところは売れようが売れなかろうが、会社が傾こうが、看板車種としてGTR、そしてフェアレディZを作り続けていることだろう。マツダのロードスターやスバルインプレッサもそうだが、こうした車は趣味の世界のもので実用性は二の次だから数が売れるものではない。作れば作るほど赤と言うこともあるだろうが、会社のイメージリーダー、看板車種としては意味がある。トヨタは、ソアラ、セリカ、スープラなど看板になりそうなスポーツカーがあったにもかかわらず商売を優先したのかそれを消してしまった。技術と言うのは継続なので一旦切ってしまうとその蓄積は失われて新たに作り出すには手間と金がかかる。結局、大衆スポーツカーはスバル、高級スポーツカーはBMWなどと組まざるを得なくなり独自性が失われる。よくトヨタのエンジンはみんなヤマハ製でトヨタはエンジンが作れないなどと言われたが、せっかくいいスポーツカーを作っても、「BMW(スバル)が作った車じゃねえか」と言われる。世界に冠たる超巨大企業のトヨタなんだからエンジンだろうが、スポーツカーだろうが、作れないわけもないが、世間の評判などそんなものだ。売れるものを作るのは商売の鉄則だが、会社のイメージをリードするものを作り続けるのも商売だろう。ダイハツ、スバル、まずだを傘下に世界を席巻する勢いのトヨタだが、イメージをリードする車がないのもトヨタの特徴だ。G’s、プリウス、それって違うだろう。セリカとスープラ、この2台は普及タイプと高級タイプ、それなりにイメージリーダーになれる素質はあったと思うけどね。


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