政治にはいろいろな思いややり方がある。それはそれでいいのだろうと思う。ただ、最近の日本の政治家を見ていると政治とは一体何なんだろうと思う時がある。そんな時に1冊の本を読んだ。「超高速参勤交代リターンズ」、話は東北の小藩に悪役老中(松平信祝というのが藩を取り潰そうといろいろと無理難題を仕掛ける。それを藩主の内藤政醇とその家臣が知恵を尽くし、武芸ではねのけて悪役老中を懲らしめるという勧善懲悪の単純な話だ。「超高速参勤交代」の1話もなかなか面白くてDVDまで買ってみたが、2話もまあ単純な話で面白い。


そんな中で政醇が老中の信祝と対面する場面がある。信祝は、「政治は金と権力、そして策謀だ」と言う。それに対して政醇は、「傷つくものの痛みがわからないものは強い。赤ん坊のように思うままに生きればいいのだから。泣く子には勝てないと世にいうから。しかし、大人になってそれが治らないものはバカだ」と反論する。さらに、「苦しんでいる者がいれば手を差し伸べる。それが人の思いだ。老中は自分の地位や富を手に入れることばかり考えて民を見ようとしないのはバカだ」と、・・。


悪役老中は、「民など鞭打って飼いならし、時々エサをやればいい。考える力を持たない民などそれを望んでいる。世の中を動かす地位に上り詰めるのは筆舌に尽くしがたい苦労があった。そういう人間の理想が国を富ませるんだ」と言う。


政醇は、「大飢饉で民が苦しんでいるのに物見遊山で豪遊とはどういうことか。武士は民から年貢をもらって養ってもらっているのだから民の苦労を知ってその幸せのために政を行うべきだ」と反論する。


悪役老中は、「ただ嘆くだけで考える能力もないものの悩みは畜生の悩みだ。国の行く先を考えることこそ真の苦難でそれが武士の役目だ」と言う。


政醇は、『そんなことばかり考えているから目の前が見えない。本当の幸せを知らないから金キラ金の器に金をかけるんだろう。仲間と一緒に茶を飲めば竹筒で飲んでもうまいんだ」と言う。


まあ、現実に政治の世界で頂点を極めるには努力と金と権謀術策も必要だろう。だけどやはり民から税金を取ってその税金から政治資金を受ける。それはお上が民の幸せのために使えと下賜された金でそれで私腹を肥やしてはいけないだろう。


政治家が国家の行く末を考えるのは将来民が不幸になることがないように、それを心がけて政治を行うので、自分の栄達や権力や富のために行ってはいけない。政治は常に民を見て行えということだろう。そう考えるとこの国にそんな政治家が何人いるんだろうと思ってしまう。


超高速参勤交代シリーズは話の展開のテンポが速くて楽しい娯楽作品だが、特に深い意味があるわけではない。ただ、この部分はちょっと考えさせられた。政治がきれいごとだけで進むとは思っていないが、常に国民の方を向いて国民の幸せを考えてくれる政治家が増えてくれるといいと思う。票稼ぎの上っ面のおざなりのきれいごとではなくて、・・。


江戸時代、湯長谷藩と言う小藩は実際にあって政醇と言う藩主も実在したそうだが、30代で亡くなったそうだ。実際には小説のようなことはしていないという。まあ、現実の江戸時代幕藩体制の中では小説のような藩主の生き方はとても無理だろう。


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