パリで起きた同時多発テロ事件で、現地メディアが自爆テロ実行犯を「kamikaze」(カミカズ)=カミカゼの仏語風発音=と表現していることに、語源となった神風特攻隊の元隊員から憤りの声が上がっている。命をなげうち、祖国を守ろうとした特攻と、無辜(むこ)の民間人を犠牲にするテロを同一視するような報道に、元隊員は「国のために戦死した仲間は、テロリストとは全く異なる」と反発している。 

 「日本をなんとか救おうと、愛国心の一念から仲間は飛び立ち、命をささげた。テロと特攻を一緒にするのは戦友に対する侮辱であり、残念至極だ」

 
福岡県豊前市の末吉初男氏(88)は17日、産経新聞の取材にこう語った。

 
末吉氏は16歳で陸軍少年飛行兵に応募し、昭和18年に陸軍飛行学校に入校した。18歳だった20年4月28日、特攻隊として、4機5人と台湾の飛行場から飛び立ったが、約1時間後、隊長機にトラブルが起きて沖縄・石垣島に全機不時着した。再出撃の命令は出ず、そのまま終戦を迎えた。

 
末吉氏は、爆弾を積んだ小型ボートで敵艦隊に突入する特攻に旧海軍が「神風」という言葉を用い始め、国内に広がったと記憶している。鎌倉時代の元寇の際に暴風が起きたことから、「日本が最悪の状況に陥ったときには神風が吹く、国を守るために神様が加勢してくれると信じさせてくれる言葉だった」と振り返る。

 
戦後70年、亡くなった戦友のことは片時も忘れず、冥福を祈り続けた。

 
今回、パリの事件を報道で知り、「無差別に人を狙う、こんな恐ろしいことが起こる世の中になった」と残念な思いでいた。

 
ところが、そんなテロの代名詞に「カミカゼ」が、誤って用いられている。

 
特攻の攻撃対象は敵艦であり、乗っているのは軍人だ。無差別に一般市民を巻き添えにすることは決してなかった。末吉氏も、敵艦を攻撃するために特殊教育を受けた。

 
航空母艦を標的とする際、鉄板の甲板に突っ込んでも空母は沈まない。格納している航空機の昇降口を狙うなど、課せられた任務を遂行するために、むやみな突入をしないことは絶対だった。

 
「戦友は上司の命令に従い、国を守るため、天皇陛下のためと死んだ。特攻とテロが一緒にされるとは心外でたまらない。戦友に対して申し訳なく、はがゆい思いでいっぱいだ」

 
自爆テロやテロリストを「カミカゼ」と表現する報道は、2001年9月の米中枢同時テロ以降、見られるようになった。今回テロ事件が起きたフランスでは、「3人の『カミカズ』のうち、1人がフランス人だ」「『カミカズ』が競技場に侵入しようとしていた」などの文言で報じられ、捜査を担当するパリの検事も記者会見で「カミカズ」と口にしている。

 
末吉氏は、これまで生き残ったことを申し訳なく思う気持ちから、戦争体験をほとんど語ってこなかった。だが、戦後70年を迎え、ようやく今年、生き証人として自らの経験を語り始めた。

 
「話を聞く若い世代の中には、これから政治家や指導者になる人もいるだろう。ひとりでも多くの人に、真実を知ってもらいたい」と強調した。


9.11の時もテロと特攻を一緒にしたような記事が見られたが、特攻は国際法に従った正規の戦争状態の中で戦力の隔絶した米軍に、それも当時世界最強、向かうところ敵なしの米海軍第58(38)機動部隊に対し、日本軍が止むにやまれずに取った戦法で攻撃対象は軍事目標、それも多数の軍艦にがっちりと固められ、ホースで水を撒くように対空砲火を撃ち上げる輪形陣の中心にいる米空母だった。無抵抗、無防備の一般人を標的にした卑劣極まるテロとは全く異なる。テロで犠牲になった人たちは何の落ち度もないのに全く悲惨で気の毒である。同様に特攻で戦死した人たちも命令を受け、選択の余地もなく、この国の将来を信じて死んでいった気の毒な人たちである。我々にはそれくらいは知っていてやらなければいけない義務があると思う。他にも水上特攻や水中特攻、そして爆薬を背負って戦車に体当たりする戦法などがあったが、いずれも必死の悲惨極まりない戦法だった。


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